ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

アベックがペアルックでアツアツ。

アベックがペアルック、という表現が使われなくなって久しい。私ですら、アベックという言葉を真面目に使用したことがないので、これは相当に古い言葉なのだろう。まさに昭和時代の言葉だと思われる。ペアルックはまだ生き残っているかもしれない。アツアツ…

コッコのトサカ。

朝起きて鏡の前に立つと、髪の毛の逆立った男がこっちを見ていた。驚きはしない。そこに映っているのは私自身だからだ。さすがに寝ぐせは何とかせねばならない。水を手に取り、頭髪を押さえる。 まだ起きねぇぞ。 幼い頃、母親によく指摘された。母は何故か…

ルールか思い込みか。

ユクは、家の中のほとんどの場所に入って良いことになっている。禁止エリアは台所くらいのもので、その他は自由に出入りできる。ドアノブをジャンプして開けるというような芸当はしないので、ドアを閉めてあれば、出入りはできない。せいぜい引戸を鼻先で開…

夜中に吐いた犬と動揺が隠しきれていなかった飼い主。

うぐぐぐ。という音で目が覚めた。 掛ふとんが盛り上がる下で、ユクが背中を丸めて立っていた。うげうげうげ。と吐いた。吐いたものはドッグフードのような物だったように思うが、寝ぼけていてよく覚えてない。 そんな格好で寝るからではないか。 ユクは口を…

おみくじの効用。

今週は茶の湯の稽古場の初釜があり、大阪に滞在している。久しぶりの長期滞在だ。長期といっても三泊だけだが、夜、犬に起こされないのは寂しい。寂しいといっても、実際にはよく眠れる。毎年参拝している大阪の神社へ、この機会に新年のご挨拶に参った。駅…

ユクとゆく、なら。

犬と行く、冬の散歩コースには山がよく選ばれる。夏場にもユクは山の方へ行きたがるので、選んでいるのは人間である。午後のお散歩は、特に犬にとっての一大イベントであるので、なるべくユクの行きたいところへ行かせてやりたいと考えているし、クン活にも…

新年の抱負。ドライブ。

年が改まり、本来であれば心も改めるべき、と思う。改まる年ももちろんあった。が、今年は何となく年越しをしてしまった。去年のことを思い返してみれば、なかなか良い年であった。できれば年を越したくない、くらいに考えていたのだろうか。 年越したくない…

お寺と山の北鎌倉。

鎌倉は人で溢れかえっていたことだろう。何せ鶴岡八幡宮がある。初詣のお客さんが大勢いることが想像できる。押し合いへし合いしている場所へ、あまり行きたくはない。そもそもあそこの境内は犬の出入りが禁止されている。ユクと行けない。ユクとゆく、と言…

こじんまりと年越しを祝う。

あけましておめでとうございます!と書くのが憚られる年明けとなった。考えてみれば、おめでたくない人は常に存在するわけで、おめでとう、という言葉は今の社会では難しい言葉になった。全世界の人たちの、もしくは動物たちの、あるいは生きものすべてのこ…

するっと年越し。

年越しの瞬間、毎年逆立ちをしていた。小学生の頃の話だ。毎年は言いすぎか、三年くらいのことかも知れない。カウントダウンが始まる前に、カシオのデジタル時計を電話の時報で正確に合わせる。その時計を見ながら、壁に向かって逆立ちをする。午前零時を指…

犬用の光る首輪。格好良いのは首輪か犬か。

動く玩具には電池が必要、という感覚は現代ではあまりない。実際には、電池が不要になったわけではない。充電式電池が内蔵されていることが多く、円筒形の電池を自分で玩具に仕込む必要がなくなったから、電池が要らなくなったように感じているだけだ。 スマ…

ミッドライフ。終わりは誰も知らないので、へっちゃら。

人生半ばである。後半に近いほうだろう。それでも呑気に犬とだらけて過ごしているのは、終わりが分からない、つまりそのときがいつ来るのか分からないからである。そのときが突然来れば、来たことも分からず終わる可能性すらある。実際そのような最期を迎え…

バランスとプラモデル。

期末試験が近づくと、なぜかプラモデルが作りたくなった。人間の話であり、随分と前、私が中学生の頃の話である。試験が終わったら、グフを作るぞ、とか、アッガイをお小遣いで買おうなどという考えが四六時中頭の中をめぐり、勉強をその合間に進める、とい…

生産性を高める人類。生産性から逃げる犬とその飼い主。

生産性は英語ではプロダクティビティという。プロダクティビティを上げたい、と普通に考えてきた。いろいろと手間のかかることを省略でき、その分速やかに沢山の事を進めることができるように、と。関連するデバイスやアプリ、方法など、探求に明け暮れてい…

紅葉が染みるのはなぜ。

ここ北鎌倉では、今年の紅葉を長く楽しめているように感じられる。暖かくなったり寒くなったり、いや、暖かい日のほうが多い感じか。暖冬と言われれば、そのような気もするけれど、このような年もあったのでは、などと、それなりの歳を重ねると思うところで…

みゃくみゃくと。ダメ出しばかりの世の中。

東京オリンピックは無観客となった。コロナウイルスによるパンデミックで、延期となり、あわや中止か、という事態に陥っていた。その中でも開催出来たのだから、少しは良かったと言えるのだろう。オリンピックに向けて練習をしてきた選手達にとって、開催さ…

最後にもう一日だけ体験させてやる。

人生のなかで、一番楽しかった思い出は何だろう。自分が死にそうなとき、何を思い出すのだろう。 病床で、もう立つこともできないような最後。でも一日だけ、これまでの人生の中で一日だけ、もう一度体験させてあげよう、と言われたら、どの一日を選ぶのだろ…

態度を変える犬。玩具の持ち込みについて。

犬は飼われている家の人それぞれに態度を変える。そのことは犬を飼う前から、何となくは知っていた。ユクがうちへ来てからしばらくは、態度の違いなど気が付かなかった。 一緒に暮らし始めて、半年過ぎた頃だろうか、ユクの態度が妻に対してと私に対してとで…

朝比奈切通ハイキングコースへ、ユクとゆく。

小田原へ行こうと考えていた。ところが朝起きてみると津波注意報が発令されていた。調べてみると西湘バイパスは通行止めだ。せっかくなので海を左手に小田原へ行きたいではないか。 小田原城。ユクを連れていきたい。 天気は良い。妻がすぐに代案を出してく…

犬と寝ています。

ユクは人間のお布団が大好きだ。寝る時刻が来ることをとても楽しみにしているように見える。 まだねない? ユクの体内時計はなかなか正確だと感じる。こちらが少し夜更かしをしていても、いつも寝ている時刻になると、早く二階に行って寝ようよ、という態度…

ええおべべ着てはりますなぁ。

京都の人は発している言葉と腹の中で考えていることが違うそうだ。昔一緒に働いていた京都出身の実直な若者が嘆いていたことがある。「ぼく、まったく言葉の裏を読めない人間なので、京都での生活は大変でした!」と。大阪に出てきて良かったね、と言った。…

パトロールのお伴。飼い主の威厳。

日々のユクとの散歩コースはいくつか決まっている。新しいところを開拓したいとも思うが、新しいところに行くと、違う匂いが沢山あることが気になるのか、ユクの様子が変わる。ガンガンに引っ張るし、リードを持つこちらも大変に疲れてしまう。 茂みに頭を突…

金メダルへの道。怖いけど、進め。

ブラジリアン柔術の大会に出てきた。ここのところ、六連敗中だった。六連敗もすると、また負けたらどうしよう、の気持ちが大きくなり、試合にエントリーすることへの恐怖も大きくなる。ただ、いつか試合には勝ちたい、金メダルを首にかけてもらいたい。その…

検討に検討を重ねた結果。

半袖短パンの季節がようやく過ぎた。夏でも虫対策で、犬の散歩に出掛けるときは半袖短パンではない。半袖はあっても短パンは絶対にない。薄手の長ズボンを履いている。私の履いているズボンはポケットが沢山付いていて便利だ。犬がいつ催しても良いように、…

「ゆる」ってなんだ。

ブラジリアン柔術という競技は、言うまでもなく格闘技だ。格闘技なので、危険そう、というのはある面で正解である。私も幾度となく怪我を経験してきた。それでも取っ組み合う楽しさは他に代えがたく、怪我が治ればまたやっているし、怪我をしてもまたやりた…

好きな子へのアプローチが下手な犬。

ユクは片想いであることが多い。仲良くイチャイチャしているところを見たことがない。そもそも犬がイチャイチャすることもないのかも知れないが、何となくうまく行っていない感じがする。お前はどうなんだと言われれば、偉そうに他人のことをとやかく言える…

牛柄と鹿柄。

鹿柄をまとった犬なので、名を「ユク」と付けられた。「ユク」はアイヌ語で鹿の意である。 犬です。 細かいことを言えば、鹿柄は茶色ベースに白の斑点だ。ユクの場合は茶白の犬ではあるが、白ベースに茶色の斑点が入っている。「バンビちゃん」とは配色が逆…

外では厳しく。うちでは甘やかし。

犬が人間社会で生きていくのは大変だ。大変だ、というのも所詮は人間目線であり、犬はその時その時で目の前のことに対応し、学習し、適応しているのみだろう。それをやってはダメだ、と叱っても、なぜだ、というような表情をしていることもしばしば。ふーん…

何かを着ることを拒まない犬。

犬に服など着せて。自分が犬と暮らすまではそう思っていた。しかし、玄関を出て身体を震わせている犬を見たら、そうも言ってはいられない。 涼しくなってきたからね。 犬が服を着るのは不自然だ。自身では絶対着ないような物を着て歩いている。そして、犬の…

ユクが、初めての花火鑑賞を経験する。六十年に一度の洪鐘祭(おおがねまつり)。

コロナによるパンデミックの関係で、「洪鐘祭」の開催も数年延期されてきた。それが今年、ようやく開催となった。このお祭りは、なんと六十年に一度だそうだ。六十年前のことを覚えている人はほとんどおらず、何が行われるのか、よく分からない。円覚寺にあ…