朝起きて鏡の前に立つと、髪の毛の逆立った男がこっちを見ていた。驚きはしない。そこに映っているのは私自身だからだ。さすがに寝ぐせは何とかせねばならない。水を手に取り、頭髪を押さえる。
幼い頃、母親によく指摘された。母は何故か寝ぐせの状態を「ピンコシャン」と呼んでいた。五十歳を越えた今でも、「ピンコシャン」と呟いてみたりする。人間の記憶というものは、いかにとるに足らない細部を後生大事に格納しているものか。何の役にも立たない記憶も、この駄文に記したことで少しは報われただろう。
「コッコのトサカ」とも呼ばれていた。寝癖がニワトリのトサカのようであるから、そのように表現したのだ。小学生の時分には、トサカの意味がもう一つピンとこなかった。「コッコノトサカ」とはなんぞ、と思っていた。
朝食を済ませ、ユクを連れて朝の散歩に出かける。
いつもどおり、近所のお寺さんへ行った。
少しの音、人の気配、タイワンリスの気配などにユクは敏感に反応し、じっとそちらを見やる。お寺の平和を守っている顔をしている。ユクはそうすることに真面目に向き合っているので、自由にさせている。平和と安全を守るごっこ遊びだ。
今朝もお寺と近所の広場の平和は保たれた。ユク坊よ、任務おつかれさま。
帰路でお隣に住む御婦人とすれ違った。犬の散歩をしている私とは違い、綺麗な格好をされてる。私は元気よく挨拶をした。
家に帰ってきて、ユクの足を拭く雑巾を準備しているとき、鏡に映る私の頭にはトサカが生えていた。御婦人の微妙な表情が思い出された。