ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

リハビリテーションを受けて、犬にも施してみる飼い主。

足首の怪我をして、目下リハビリ中である。人間の話だ。四十を過ぎてから格闘技(ブラジリアン柔術)なぞ始めたものだから、この十年余り何かと怪我をしてきた。安全な部類ではあるが、それでも格闘技であるから、小さな怪我は常である。あちこち痛い。そし…

風を吹かせる犬を制止する方法は?

「風を吹かせる」という言葉がある。あまり良い意味の文脈では使われないものだ。風を吹かせている奴は、大抵「中身がともなっていないのに偉そうにする」奴だろう。吹かせる風にも色々ある。先輩風や兄貴風、役人風などが思い当たる。うちには地元風を吹か…

二階に付いてくるようになった犬。

以前は犬に二階へ上がることを禁じていた。解禁後、犬が入ってはいけないのは台所だけだ。禁じてはいないが、大嫌いなシャワーのある浴室には自らは入ることはない。 自由になった後でも、朝の散歩が終わって朝ごはんを食べ終わると、ユクは一階で寝ていた。…

共感力。人と人。犬と人。

最近では、空気を読むことが悪いことかのように言われることが多い。数百年前から茶の湯の世界では、空気を読み合ったり、言葉でないところのことを探り合ったりしている。そういう遊びなのだ。おもてなしというものは、客と亭主における茶の湯の熟練度合い…

恨めしいなどと思わぬ犬。(のようになりたい人間)

私はいま、足首を怪我している。ブラジリアン柔術の練習中に足首をひねられた。あいつは壊し屋だから気をつけたほうがいいよ、と注意を受けていたのだが、気をつける間もなく、壊されてしまった。関節技は非常に危ない。だから練習で関節技をかけて相手を怪…

テリトリーと所有欲求。

ユクは、うちに来てからしばらくの間、吠えなかった。どのような声で吠えるのだろうか、もしかしたら吠えない犬なのか、とすら思っていた。それがある日、お隣に住む犬を窓越しに見て、吠えた。とても標準的な犬の声をしていた。吠えたものの、のちにその犬…

犬にだけ見える沼。

犬を飼っていると、動物病院へ定期的に行くこととなる。特別調子の悪い犬でなくとも、だ。法律で義務付けられている狂犬病ワクチン接種などを受けに行く必要がある。動物病院へ行くために犬を自動車に乗せる。ユクは自動車に乗るのが大好きなので、出だしは…

牛蹄(ぎゅうてい)が好き過ぎて、知恵を働かせた犬。

夜、私はシャワーを浴びていた。と、そこへ扉の外から妻の声がした。返事をしたのと同時に扉が開かれた。なかなかの緊急事態ではないか。私とは違い、虫が現れたくらいで妻がこのように騒ぐ筈はない。揺れは感じていないので、地震でもない。浴室は明るいの…

半分降りたような人間の戯言。

平均寿命を参考にすると、人生の半分はゆうに過ぎた。四十を越えた頃は、まだ半分、という余裕を感じていた。百二十歳くらいまで生きるつもりでいたから、まだまだ三分の一だ、くらいに考えていた。ところがどうだろう、五十を越えた辺りから、心持ちが変わ…

犬と雨宿り。

夕方。散歩の時間だ。あまり水分を摂らないユクのためにヤギミルクを用意してやる。ペットボトルに水を入れ、トリーツバッグにおやつを入れる。ドライTシャツを着て、ポケットの沢山付いたズボンに履き替える。ポケットには「ポイ太くん」が四枚忍ばせてある…

最初に読んで、いまでも愛読している犬のしつけ本。

犬と暮らすのは初めてなので、犬のしつけや散歩の仕方など、何も知らない状態だった。保護犬の預かりボランティアさんを通じて、ユクを迎え入れるにあたり、ケージやリードなどは教えていただいて事前に用意できたが、肝心の心構えやしつけの方法などを別に…

遠慮する犬。早起きな犬。

ユクの朝は早い。これはユクに限らず、犬の、と言うべきだろうか。見聞きした感じだと、太陽の早く昇る季節には、犬に早くから起こされる飼い主さんが多いように思われる。辺りが明るくなってくるとともに起き始めるのは自然だ。人間である私も本来はそうあ…

食べ物命の男たち。

ユクは「食べ物命」の男だ。その行動に、すべては食べることのため、という気概を感じる。一度食べ物に目をやると、見逃すまい、というつもりなのか、視線を絶対に外さない。ロックオンという言葉がぴったりだ。また、人間の手をよく見ている。部屋に人間が…

信心。手を合わせる美しさ。

私の住む北鎌倉界隈にはお寺が多い。お寺が多いどころか、お寺と山しかない、と冗談で申し上げるほどに、お寺と山に囲まれている。お寺は山にあるものだから、やはりお寺が中心ということになろう。 私は特定の宗教を信じていない。無宗教である、と断言する…

Apple Watchで犬の散歩を記録。ワークアウトを終了しましたか?

「ファミリー」と頭に付くものは別として、コンピュータと初めて触れ合ったのは高校生の頃だったろうか。電話回線を通じて遠隔地と通信ができる、ということも高校生のときに知った。パソコン通信と呼ばれたものだ。大学生になって、学校に備わっていたアッ…

犬の匂い。

一九九〇年代の話。大阪梅田の商店街に大きなペットショップがあった。今はもうそのお店はなくなっていると思う。犬や猫の他、爬虫類や猿などの種も売られていた。何度目かのペットブームだったのだろう。その過熱ぶりを象徴するかのように珍しいとされる動…

人がいなければいたずらをしない犬。

我が家では、犬の行動範囲が月日を追うごとに拡がっていった。今や禁止されている場所は台所くらいのもので、その他は自由に行くことができる。最初の一年間は、二階へ来ることを禁じていた。寝室も仕事部屋も二階にあるので、寝るときと仕事をしているとき…

頑固ジジイかやさしい爺さんか。

人間の子供たちの成長は体感としてとても速い。知り合いの子供たちもあっという間に大きくなっているし、顔つきも背丈もどんどん変わる。犬の成長はそれ以上に速い。そのように感ずるのは、人間の寿命を基準とした時間感覚を犬に当てはめて考えているからだ…

くよくよしないでいまを生きる犬。

ユクの大好きなお隣さんが引っ越してしまった。黒柴君のことも、その飼い主であるご夫婦のことも、ユクは大好きだった。最後、挨拶に来てくださったときも、ユクは恥じらう乙女のようにご夫婦にすり寄っていた。飼い主である私たちにもここまではしないので…

明日死ぬのなら何をしたいか。人生は思い出のかたまり。

これまでの人生で何度か、明日死ぬ、という夢を見たことがある。この場合の夢とは、叶えたい夢ではなくて、寝ているときに勝手に見てしまうほうの夢である。毎回、夢の中でうろたえることはうろたえるのだが、結末は同じ。寝るのだ。ああもう、寝て死にます…

ついてきちゃった犬。可愛い身勝手。

ユクが人間なら、あまり友達にはなりたくない。大変身勝手だからだ。これまでに何度もワンプロをして遊んでもらっていたお友達の犬に対して、急に冷たい態度を示し、俺そういう遊びは卒業したから、というような顔をすることがある。見ているこちらの腰が砕…

私、太ってますか?

動物病院へ行き、狂犬病ワクチンと健康診断をしていただいた。先生には「少し太っていますね」と言われた。もちろん飼い主ではなく、犬のことだ。ユクが太っている?どちらかと言えば、痩せて見えて、飼い主がきちんと食事を与えてないのではないかと疑惑を…

インターネットの良いところ。

インターネットの民間への普及黎明期から、インターネットに触れてきた。日本では、一九九〇年代の前半、九四年辺りからインターネットが知られはじめた。光回線などなく、電話回線にモデムを繋いで、ピーガラガラガラガラとやるものだった。インターネット…

脚を上げ(られ?)るようになった犬。

一歳半を過ぎたあたりからだろうか。ユクがマーキング行動をしはじめた。九ヶ月齢くらいで家へやって来た後、半年と少しの間は、まったくそのようなことはなかった。 お散歩の最初におしっこをすれば、その後は嗅ぎまわるだけ。ひと様のお家の前や電柱におし…

一匹として同じ犬はいない。

同じ犬種でもまったく性格が違う。性格の傾向というものは存在するようだが、そういうものはあまり当てにならないだろう。人間において考えてみても同じことが言える。誰ひとりとして、同じ人間はいない。似たところを見つけることは容易だが、まったく同じ…

食べ物をめぐる犬と人。

ユクは食べ物を貰えそうだと、お座りをして、じっと待っている。両眼はまっすぐに食べ物のほうを向いている。片時も目線を逸らさない。よそ見をして、その機会をなくしてしまったら大変だ、必ず生き抜いてやる、という気概を感じる。 野良犬であった数ヶ月間…

無理するなよ!

ブラジリアン柔術の試合に出てきた。齢五十を過ぎて、こんなことをする人生になろうとは想像もしなかった。煙草の煙が漂うライブハウスに出入りをし、不健康そのもの、運動やフィットネスとはほど遠い人生を歩んできたからだ。十代までは運動が得意で何でも…

波があります、とは一体?犬の通知簿。

私が小学生の頃のお話。学期の最後に成績表を先生からいただく、通知簿と呼ばれるものだ。できることなら親にこれを見せたくはなかった。そのようなことは無論許されるわけもなく必ず両親に手渡された。なぜ見せたくなかったか、というと単純な理由で、成績…

吉野家の牛丼。

牛丼は吉野家のものが好きだ。棋士、村山聖も言っていたが、牛丼は吉野家でないといけない。松屋もすき家もなか卯もそれぞれ美味しいとは思うが、それは、吉野家あってこそ、なのだ。湖池屋のポテトチップスが美味いのも、カルビーのポテトチップスがあるか…

懐かしさは自分のためだけに。

懐かしいということは、生きてきた証しでもある。経験し記憶し、それを思い返すとき、懐かしい、と感じるものだからだ。生きていてもすべてを忘れてしまっていては、懐かしむことはできない。心に刻むからこそ懐かしいのだ。 ここへ初めて来た日は、不安でい…