ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

最後にもう一日だけ体験させてやる。

人生のなかで、一番楽しかった思い出は何だろう。
自分が死にそうなとき、何を思い出すのだろう。

病床で、もう立つこともできないような最後。
でも一日だけ、これまでの人生の中で一日だけ、もう一度体験させてあげよう、と言われたら、どの一日を選ぶのだろうか

一日だけだぞ。(閻魔様感ある……)

人生の中で印象に残っている日や瞬間はいくつかある。
妻と出会った日も特別だが、その日をもう一度体験したいかと言えば、そういう種類の思い出でもない。初デートも初めて手を繋いだこともよく覚えているが、最後にもう一度、という体験ではない。

幸せとはなにか、ということを考えるのは贅沢な話だ。
世界の何処かではいつも戦争が行われているし、貧困にあえぐ地域もある。この時代の日本に生まれたことはとても幸運なことである。幸せとはなにか、などと考える余裕もない人たちは、世界中にまだまだ沢山存在するからだ。

保護されてしまってけど助かった幸運なユク坊。

幸せとは相対的なものだ。
あのときがあるから、いまが幸せ。あれよりこれが幸せ。あの状態よりこの状態が幸せ。大体このような感じで幸せというものは計られているのではないか。

百点満点の日を幸せと呼べるのか。そうでもないような気がする。
今日は百点満点だ!という日は、何となく特別な日ではある。しかし、人生全体を振り返ったとき、もっとも幸せな日であったのか、感覚的だが、違うように思う。

特別ではない日のショット。

朝起きて、ピーナッツバターをたっぷり塗ったトーストと苦味の強いコーヒーを飲む。トーストの端っこをユクにもやる。メジャーリーガーがガムを噛むような口で、シャクシャクと音を立てながら旨そうに食べている。午前中、私は二階でパソコンに向かって仕事をする。妻は一階でテレワークだ。ユクは一階か二階で丸くなって寝ている。たまにヘソ天をして、撫でろとアピールしてくる。そういうときは、必ず撫でてやるルールだ。

お昼には卵かけご飯を食べて、Netflixを観ながらユクとウトウトする。
また少し仕事をして、夕方には妻とユクと散歩に出掛ける。
線路の横を駆け抜けて、踏切を渡ってゆく。学校横から山道に入る。タイワンリスの声を聴きながら、ユクのクン活に付きあう。山から降りて北鎌倉の駅のほうへ帰ってくると、近所の犬たちにも出会う。ユクはおやつをもらうことに忙しい。

なにか特別な日なの?

家に帰ってきて、ユクの足や体を拭いてやり、晩ごはんを用意してやる。ユクは飛び跳ねて喜びを表現してくれる。ご飯の度に、毎日飛び跳ねる。

人と犬の歯磨きが終わったら、ユクを誘って寝床に入る。
ユクはベッドの上でくねくねし、喜びを表現する。頭も腹も、全身を撫でくりまわしてやる。

いつもの一日だ。

最後に一日だけもう一度体験させてやると言われたら、こんな日を選ぶのだと思う。