生産性は英語ではプロダクティビティという。プロダクティビティを上げたい、と普通に考えてきた。いろいろと手間のかかることを省略でき、その分速やかに沢山の事を進めることができるように、と。関連するデバイスやアプリ、方法など、探求に明け暮れている。
人類の歴史を見ても、生産性を上げることを目指すことが良いとされてきたと思われる。その結果、人の時間の使い方が変わっていったのだ。考える時間もできたので、自分とはなにか、幸せとはなにか、などと考える余裕もできた。今日を生きることに精一杯なら、幸せとは、などと悠長なことは言ってられない。
少しだけ工夫と注意力が必要だけど、あまり考え込むこと無くできることをやっているとき、とても心が健やかになるように感じられる。食器を洗ったり、掃除をしたり、料理を作ったり、という時間がそれにあたる。料理も初めて作るメニューだと、そうは行かないかもしれないが、作ったことのあるメニューなら、心が穏やかに鎮まっていくようだ。
ここ数十年で、家電製品によって、これらの行為を人間がしなくても良くなってきた。うちには食洗機がないので、手洗いだが、機械に洗ってもらっている家庭も多くなってきたのではないか。掃除も洗濯も料理も、機械が人間を助けてくれて、人間の生産性を高めるための時間を確保してくれている。
生産性を高めることにゴールはない。
このくらいできれば良い、という指標も設定しづらい。
だから、ここ数十年のことを見ても、便利になればなるほど、人間は忙しくなっている。忙しくなりすぎて、心がくすんでくるのだ。そんなことで洗い物をしているだけで、心が癒やされる、というようなおかしな現象が起きているように思う。
何でもかでも簡略、省略すれば良いものでもない。
犬の散歩の時間もとても良い時間だ。散歩を代行してもらったり、ロボットに行ってもらいます、ということになってしまっては、犬と暮らしている意味がない。散歩こそ、犬にとって最高のイベントなのだから、飼い主もその時間を一緒に過ごしてやることで犬との関係性も深まるというものだ。
ユクと散歩に出掛けるようになって三年以上が経ったので、少し慣れてきた。コースにもユクの振る舞いにも慣れてきた。散歩をしながら、風景を楽しんだり、もの思いに耽ったりすることもできるようになった。
毎日、生産性とはほど遠い犬のクン活に付き合い、街や山を歩く。