ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

風吹く砂浜へ、ユクとゆく。

まだ二月の後半だが、春一番が吹く予報。南風も強く、夕方まで強風注意報が発令されていた。それでも昨日から日曜日は海へ行こうと決めていたので、お昼頃にユクを連れて鎌倉方面へと歩き始めた。 鎌倉に着いて、コンビニに寄り、おにぎりを二つ購入した。妻…

むしゃくしゃした犬。天才的な見極め。

犬の行動を見て、馬鹿だな、と思うこともあれば、こやつ案外利口だな、と感じることもある。この地球で、人類に寄り添い、上手に生き残ってきたという点で、犬は実に賢い動物だと言える。人間の近くで暮らすことによって、食事にありつけたり安全性を保った…

相手によって対応を変える犬。散歩終わり篇。

相手によって対応を変える。これが人ならば、世間に疎まれそうな話だ。たとえば上司にはへつらっているが、部下には厳しく、手柄をすべて自分のものにしてしまうような課長は、ろくなものではない。また、自分より弱そうな人に向かってだけ偉そうにしている…

達観。お留守番を阻止したい犬。

ジムを移籍して、おかげさまでよく稽古に行けるようになった。ブラジリアン柔術の話だ。 引っ越しを機にフィットネスジムを近所の施設に変更する、というようなことと、ブラジリアン柔術のジムを移籍することとは少し違う。ブラジリアン柔術には、帯の認定制…

犬の散歩におけるマナー。

私が小学生の頃。つまり一九七〇年代から八〇年代にかけて。通学路にはよく犬の糞が放置してあった。風化して乾ききったものもよくあった。誤って踏んでしまうようなこともあり、その際は友達と大騒ぎをした。二一世紀となったいま、犬の糞が道に落ちている…

トム・ヴァーレインが亡くなった。

一九七〇年代の後半にテレヴィジョンという名のバンドを率いていたミュージシャンだ。このところ有名人の訃報続きで、時代の移ろいが身に沁みていた。はっ!と意図せず息が吐き出された。トム・ヴァーレインの訃報に触れたときは、何か他と違うものが感じら…

VERVE COFFEEへ、ユクとゆく。

北鎌倉に大変「オシャレな」コーヒーショップができた。「オシャレな」という表現をあまり使いたくないのだが、他に適切な表現が見当たらない。格好良いでもクールでもない、オシャレなコーヒーショップなのだ。名を「VERVE COFFEE」という。また、駐車スペ…

縄張り争い。犬のあるいはヒトの。

散歩中、周辺の匂いを嗅ぐことに忙しい。もちろん犬の話だ。ユクは本当に入念だ。趣味と呼んで良いものかどうか分からないが、それをして何になるのか、とよく考えてみても、やはり趣味としか言いようがない。そして、飼い主である私たちは、その趣味にとこ…

犬の食い意地。

ユクは食い意地が張っている。犬は皆そうだ、と言えばそうかも知れない。それにしても、食べ物のこととなるとあまりにも必死だ。もちろん、犬が人間のように、これは後で食べたほうが美味しくいただけそうだから少しとっておこう、などという考え方ができな…

爪切り嫌いの犬。

ユクは爪切りが嫌いだ。いや、大嫌いだ。うちにも犬用の爪切りがあるので、それで切らせてくれれば、それで事足りるのだが、相当に嫌みたいで、成功しない。仕方なく、動物病院で切っていただくことにしているが、あれだけ嫌なものをどのように成功させてい…

ヘソ天は絶対です。

私は自宅で独りで仕事をしている。コロナウイルスによるパンデミックが起きる以前からそうだ。世間の皆さんも(もちろん職種によるが)、ようやく家で仕事をすることの快適さにお気付きになったようだ。こちらとしても、「打ち合わせをしたいので、取り敢え…

形から入る。

「形から入る」という言葉は、どことなく悪い意味のように感ぜられる。この言葉の使われる場面のためだろうか。「またすぐ形から入る」などと言われて、実力も伴っていないのに誠にすみません、といった気持ちになってしまうような覚えがある。形から入るの…

シンギュラリティを迎える人間と犬の生きる道。

AIに関するニュースや話題が溢れている。 インターネットの黎明期には、パソコンとインターネットが頭の中で一緒になってしまっている年配者がおられた。今ではインターネットはパソコンで使うものではなく、スマートフォンで使うものとなっているので、スマ…

鎌倉、大仏ハイキングコース。茶室跡へ、ユクとゆく。

二〇二三年一月二日。葛原岡神社でお祓いをしていただき、清々しい気分となった私たちは、浄智寺、源氏山から長谷へとつながる、「大仏ハイキングコース」を進んでいく。源氏山からは、化粧坂切通を下れば、短時間で自宅に帰ることができる。しかし、この日…

葛原岡神社への初詣に、ユクとゆく。

元日はお寺を巡った。二日はいよいよ神社への初詣だ。鎌倉には鶴岡八幡宮がある。圧倒的にお寺のほうが数が多いように感じられる。ただ、鎌倉の人にとって、神社と言えば鶴岡八幡宮なのだろう。そんな気がするだけだが。 私たちの初詣は、鶴岡八幡宮ではない…

二〇二三年元日のお散歩。

元日。いつもの浄智寺へ。毎朝通っている浄智寺だが、普段は外からお堂を拝見するだけだ。元日は中へ入ってユクを連れてお参りをした。私は本堂裏にある、小ぶりな観音像が好きだ。小さな仏像だが、お寺で観るから小さいのであって、きっと自宅に設置すれば…

二〇二二から二〇二三。年越しはいつも嫌な感じがする。

北鎌倉に越してきてから、大晦日は駅前の円覚寺に出向き、除夜の鐘を聞きに行くということを数年間している。パンデミック前は、整理券を得て、除夜の鐘を撞かせていただいたこともあった。昨年からは、一般の者は撞かせてもらえなくなった。お坊さんたちが…

笑顔の毎日。良いお年をお迎えください。

ユクがうちへ来てから三度目の年末である。二〇二〇年の春にうちへやって来たから、丸二年は犬と暮らしてきた。最初は何も知らない分からないという状態であったから、そこから考えれば、随分と慣れたものだ。世話は毎日のことなので、慣れて然るべきだ。 仲…

淡い交わり。

「淡交」という言葉は、荘子の「君子之交淡若水」という言葉に由来する。裏千家茶道の月刊誌にその名が付けられている。歳を重ねるほどに意味の分かってくる種類の言葉だと思う。 つまり、失敗したな、という経験をして、学習を重ねてきたからこそ、腑に落ち…

タキシードだけがドレスアップではない。

ラジオを聞いていた。ある男性の話し手が、「先日、パーティーに出て、タキシードを着たんだよね」と言った。それを受けて、アメリカ育ちの日系人と思しき女性の話し手が、「いいよね、日本人ってあまりそういうのがないよね。たまにドレスアップして気分を…

お見送り犬。犬の演技力。

ユクは寒いのが苦手な犬だ。朝、家族を起こし、リビングに集合させる。そのくせ、自分は犬用ベッドで丸くなり、二度寝を始める。散歩に行きたくて起こしたわけではないらしい。てっきり漏れそうだから、早く準備して散歩に連れて行ってくれ、と訴えているも…

ここほれワンワン。

私は幼稚園生のとき、お遊戯会で「花咲爺さん」を披露した。花形は正直爺さんである。目立ちたがり屋の私はその役を演じたかった。しかし、その役を仰せつかったのは、幼稚園児ながらに顔立ちの整った別の男の子だった。私の役は、意地悪爺さんに鍬で叩かれ…

無理をしない犬。

足首の怪我も癒えてきて、身体の調子も随分と良くなってきた。人間の話だ。 少しの間なら正座も出来るようになり、茶の点前も稽古できるようになった。人様の前で点前を行うのはまだ危険である、という自己判断から、新春茶会での濃茶点前はお休みさせていた…

雲頂庵コースから眺める景色。

ユクとの午後の散歩は様々なコースがある。建長寺を脇に見て、鶴岡八幡宮を抜け、段葛を通り、由比ガ浜まで行くこともある。亀ヶ谷コース、源氏山化粧坂コース、台峯コース、山崎小学校コース、六国見山コース、市街地コース、などと勝手に命名し、妻との会…

お辞儀していこうぜ。

小学生の頃から高校を卒業するあたりまでは、サッカーが大好きで、観たり、実際にプレーしたりしていた。「ドーハの悲劇」の頃には自分ではやらなくなっていたけれど、熱狂してテレビ観戦していた。今では特別サッカーファンではない。四年に一度、にわかに…

好好洞で雨宿り。

毎日犬を散歩に連れて行かねばならない。朝夕の二回だ。ユクが部屋の中で用を足せないからである。さっと外に出て、さっと用を足して、家に帰ってくる、というようなことでもできればまだ良いのだが、それもできない。土砂降りだろうが、横殴りの雨だろうが…

趣味というものは。

誰に対しても同じ態度を取れる人を尊敬する。裏表が無いと言うか、芯が通っていると言うか。そういう生き方に憧れるのである。 人間は社会的な生き物で、他者と関わることで生きて行くことができる。独りで何とかなると考えているのは、考えが浅い。そもそも…

灰色な俺たち。

ユクは茶白の犬だ。頭の辺りとお尻の辺りが主に茶色が強く入っている。胴体には白をベースに茶色の斑点柄が入っている。この斑点柄が鹿のようであるから、この犬は「ユク」という名前になった。アイヌ語で鹿の意味である。 茶白の犬の寝姿。 犬と一緒に暮ら…

そのバイク、整備してくださいな。

ユクは大変、鼻が良い。格好が良いという意味ではなく、鼻が利くということだ。ユクが、と申し上げたが、犬は基本的に人間より鼻が利く。妻がヤギミルクや干し芋の準備をし始めればキッチンの前に現れて、お利口そうに座り、笑みを見せる。広角が上がって、…

アナログな犬。

カシオのデジタル時計を叔母からプレゼントしてもらったのは、私が小学五年生の頃だった。コンピュータがパーソナルなものになりかけた一九八〇年あたりのことだ。 ファミコン? 日本は今では考えられないほど、希望に充ち満ちた様子だった。東京五輪、大阪…