ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

季節の移ろいに気付くには。

歳を重ねると、体力が落ちる。人間も犬も。
百歳の影絵画家、藤城清治さんをテレビで見た。手すりにつかまりながらもしっかりとご自身の脚で階段を上がっておられた。そのようすをみて、膝を怪我している私と同じではないか、とすぐに思った。今からあと五十年も使わねばならない脚だ。治さないといけない。怪我から二週間以上が経ち、少しはましになってきた。歳を取って、回復力も落ちていることだろう。それでも治るのだから、人間は素晴らしい。

回復することに感動するのも歳を重ねたおかげだろう。
これも極まってくると、朝起きた時、空気を吸えたら涙する、くらいになるに違いない。若いことは良いことだが、それも歳を取ってから分かる。皮肉なものだ。

何だかずっといい匂いがする。

移ろう季節を何で感じるか。
ああ桜の季節だなとか新緑がとか陽が伸びたとか。日々、そのようなことで季節、あるいは時の流れを感じている。人によっては、もう桜花賞かとか七五三か、とか。

要するに、何か固定されたイベントに紐づけて季節を感じとっているということか。同じ場所、同じ時刻の風景を観測すれば、毎日光の差し方が違うだろう。季節、気温、天気、生き物の鳴き声、様々違うことに気付くはずだ。

同じようで何かが違うのさ。

犬と毎日散歩していると、季節の移ろいを感じやすいのは、散歩の時刻とコースがある程度決まっているからなのかもしれない。

結局、歳を取ったからこのようなことを考えるのかもしれないが。

と、脚を怪我してあまり歩くことのできない状態で固定された風景を見ながら考えた。山は青い。