ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

二〇二二から二〇二三。年越しはいつも嫌な感じがする。

北鎌倉に越してきてから、大晦日は駅前の円覚寺に出向き、除夜の鐘を聞きに行くということを数年間している。パンデミック前は、整理券を得て、除夜の鐘を撞かせていただいたこともあった。昨年からは、一般の者は撞かせてもらえなくなった。お坊さんたちが撞いてくださるのを傍で見るのみである。

除夜の鐘つき。

昨年からは、ユクも一緒だ。家を出て、しばらくすると若者たちの叫び声が響いた。年が明けたのだ。パンデミックで抑圧された青春の叫びであろう。
私も小学生の頃は、電話の時報でしっかりと時計を合わせ、年が明けるその瞬間を逆立ちで迎えよう、などと意味の分からないこだわりを見せたこともあった。青春だ。

こだわるな!

円覚寺は、犬を連れて入ることができるのでありがたい。夜に連れ出されて、犬のほうは、何事か、という感じのスタートだったが、歩き始めてしまえばご機嫌に歩いている。
円覚寺の中をひと通り歩き回った。ユクは自分の縄張りチェックでもしているのだろうか。嗅ぐことに忙しい。

写真はイメージです。

ところで、年が明けるとき、毎年のように「嫌な感じ」がする。やった〜年が明けたぜ!という感じで迎えたことはほとんどない。かといって、迎えた年が悪い年であったことも、幸いにしてない。そのことを考えてみた。

あそこをくぐれば来年になるのか。

おそらく、ゆく年がとても良い年であったので、運気が変わって欲しくないという気持ちから、「嫌な感じ」がするのだと思う。ゆく年が悪い年であれば、一刻も早く年を改めて、運気を変えてもらいたい、となるはずである。これまでの人生で、二度ほどそのようなこともあったが、ここのところ、良い年ばかりだ。良い年が終わってほしくないので、毎年「嫌な感じ」がしている。

次の大晦日も「嫌な感じ」がするように、今年も良い年であれ、と思う。