「淡交」という言葉は、荘子の「君子之交淡若水」という言葉に由来する。裏千家茶道の月刊誌にその名が付けられている。歳を重ねるほどに意味の分かってくる種類の言葉だと思う。
つまり、失敗したな、という経験をして、学習を重ねてきたからこそ、腑に落ちる言葉と言えよう。他者との交わりは深くなり過ぎないほうが良い。そう分かっていても難しいものだ。ついつい仲良くなりすぎてしまう。しかし、仲良くならないと面白味もない。その加減が難しいのだ。「淡い」というのは、どの程度か。
常連同士のお付き合いというのは、これに近い。何となく毎夜同じバーに集まる常連客同士。互いに素性は知らないが、顔見知りとなり話も弾む。ここで、物を売りつけようとか、勧誘しようなどという事が始まると、関係が壊れてしまう。
おそらく、そのバランスを理解した者たちの繫がりなのだろう。「君子」たちだ。
犬の散歩で近所を毎日歩くようになって、知り合いがたくさん増えた。もちろん、皆さん犬を連れている方々である。
この、互いに犬を連れている者同士の付き合いも、「淡交」に属するのではないか、と思っている。
ほとんどの方の名を知らない。また、お住まいも知らない。が、犬の名は存じている。犬におやつをくれる方がある。知り合って随分経つと、人間にもお土産をくださったりもする。依然、名も連絡先も知らぬままだ。
ふと、最近めっきり会わなくなった女性のことが気になる。ユクにもおやつをくださるし、人間の我々にもお香や手造りの小袋をプレゼントしてくださった。
この小袋がAirPodsのケースを入れるのにちょうど良く、これを見ると、どうしておられるのか、と心配になる。
犬は元気か、彼女は元気か。
淡い交わりの線は、このまま疎遠になる所には引かれていないと思う。