「形から入る」という言葉は、どことなく悪い意味のように感ぜられる。この言葉の使われる場面のためだろうか。「またすぐ形から入る」などと言われて、実力も伴っていないのに誠にすみません、といった気持ちになってしまうような覚えがある。形から入るのは悪いことだろうか。
何かを始めるときに良い道具をそろえる、ということは経験上とても大切なことだと思っている。最初っからそんな物を買って、またすぐ形から入るんだから。と、こういう場面で使われるのだ。だが、道具が悪いと楽しくないし、上達も望めないものだ。ものの上達には楽しさや心地良さという要素がとても大切なのである。
私は、ギター、ビリヤードのキュー、パーソナルコンピュータなど、最初は安物で徐々に高価な良い物に変えて行くということをしてきた。ただ、その経験をして感じたことは、最初から良い道具をそろえておけば良かった、ということだ。いやしかし、最初に粗悪な物を使っていたからこそ、高価な良い物の良さが解るのではなかろうか。その可能性も捨て切れない。
犬に関係する道具も、数十年前とは格段に良くなっている。昭和の犬たちをタイムマシンで呼び集めてやりたいほどだ。犬に関係する道具は、結局人間が使う道具だ。犬が使う道具としては、フードボウルや着用する洋服などである。
犬が、お!このボウルおしゃれ!いつものフードが美味しそうに見えるワン、などとは思わないだろうから、完全にこちらの勝手な選択になる。
犬も、洋服に関しては「快適性」を感じ取っているように思われる。寒そうだから、とTシャツを着せてやろうとすると、席を立ってしまうからである。
それでも着せてもらった服を、二階に見せに来るユクは一体どういうつもりなのであろうか。