相手によって対応を変える。これが人ならば、世間に疎まれそうな話だ。たとえば上司にはへつらっているが、部下には厳しく、手柄をすべて自分のものにしてしまうような課長は、ろくなものではない。
また、自分より弱そうな人に向かってだけ偉そうにしている人間も残念だ。
それでも、誰に対しても同じであることが何にも増して素晴らしいことかと言えば、私はそうは思わない。人間はいろいろな顔を持って然るべき存在だからである。
恋人には、自分にだけ見せる顔というものを持っておいて欲しかろう。「八方美人」という言葉もあるくらいだ。
犬はどうか。
人懐っこい、尻尾を振りながら甘えてくる犬は大変可愛らしい。人を選ばず、そのように振る舞う犬も実際に多くいる。人に撫でてもらうことが好きな犬にとっては、そうしてもらうための術でもあるだろう。が、ユクはこれをしない。
好きな人やおやつをくれる人にはお利口な顔をしてオスワリをするかと思えば、くれない人には知らん顔である。「ただ」では撫でさせもしない。まったく可愛くない奴だ。
私たち夫婦それぞれに対しても、まったく態度を変えてしまう。私はどちらかといえばユクに対して厳しいので、ユクも少しピリッとして、大体言うことを聞く。妻はユクに大変優しいので、ユクはわがままばかりで妻を困らせている。困っているようで、喜んでいるようにも見える。そこに犬はさらに付け込んでいるようだ。
妻がユクを散歩に連れて行くと、玄関前に帰ってきても、ユクがへたり込んで、中に入らないことがある。ささやかな反抗だ。玄関をくぐっても、すぐにまたへたり込んでしまう。
散歩終わりたくなかったのに、どうしてくれるのか、という顔をしている。
こういう態度を私には見せない。
なぜ、妻にだけ、このようなわがままな行為をするのか。
妻と私で態度を変えるのはこれだけではないが、散歩終わりに妻に見せる、この残念な顔は特に面白い。