ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

ここほれワンワン。

私は幼稚園生のとき、お遊戯会で「花咲爺さん」を披露した。
花形は正直爺さんである。目立ちたがり屋の私はその役を演じたかった。しかし、その役を仰せつかったのは、幼稚園児ながらに顔立ちの整った別の男の子だった。私の役は、意地悪爺さんに鍬で叩かれてしまうポチであった。「キャン!」と言って倒れる演技だ。セリフらしいセリフもない役で大変がっかりしていた。

主役はオレだ。

しかし、私は諦めていなかった。お遊戯の練習のときから、すべての役のセリフと演技を覚え、代役が必要になったときにはいつでも私に言ってくれ、という状態に仕上げていた。本番当日、全員が健やかに役をこなし、私も無事、「キャン!」といって倒れた。本人は真剣に演じたつもりであったが、母親や他の親御さんは笑いながら、あの演技が良かったと褒めてくれた。なぜ、笑うのか、とそのときは不服だったが、だからこそ、いまでもそのことを憶えているのだから、結果として、私の雑草魂が鍛え上げられたのだと感じている。

雑種魂だと?フォルモサンマウンテンドッグ100%だけど?

痛みを感じたとき、たしかに犬は「キャン!」と鳴く。
ユクが痛みを感じたとき、そのような声を出している。今の私なら、もっと上手に「キャン!」の演技をできると思う。

しかし、花咲爺さんで有名な、ポチがここほれワンワンと正直爺さんに教える場面はどうだろう。犬が「ここほれ」とはしないように思われる。犬が、と申し上げたが、ユクが、のほうが適切だろうか。

こういうところ、掘りたくなるのよ。

掘るという行為自体は、ユクも他の犬もやっている。ただし、それは掘りたい一心で掘っているように見え、誰かに「ここほれ」と伝えているようには見えない。また、掘った先に宝物があるわけでもなさそうだ。どこを掘るか、ということより、掘ることそのものをとにかく取り憑かれたように行っているように見えるのだ。

自作の芸術的なベッドでお休みになるユク坊。

一体掘ることに何の意味があるのだろうか。
敷いてやった毛布などにも、擬似的に掘る行為をすることがある。寝床を整える意味で犬がそのような行動を取るのだ、ということは何かで読んだことがある。その寝床づくりは、まったくうまく行っているようには見えないが、ユク的には満足をし、そこで丸くなったりしている。