ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

お辞儀していこうぜ。

小学生の頃から高校を卒業するあたりまでは、サッカーが大好きで、観たり、実際にプレーしたりしていた。「ドーハの悲劇」の頃には自分ではやらなくなっていたけれど、熱狂してテレビ観戦していた。今では特別サッカーファンではない。四年に一度、にわかにファン心が呼び覚まされる程度のことである。

二〇二二年のワールドカップで、日本は初戦のドイツに勝利した。本気のドイツに勝てたことに驚いた。若い選手たちの活躍を見て、妙な安心感すら得ていた。次のコスタリカ線に負け、安心感が溶けてなくなった。予選リーグ三戦目のスペイン戦での勝利には涙が流れた。一喜一憂しない、と選手たちは言っていたが、観ているこちらは、まさに一喜一憂していた。

一喜一憂のポーズ。(あるいはシュート失敗)

トーナメント初戦、クロアチアに敗北し、一喜一憂も終わりを迎えた。日本選手のロッカールームやサポーター席が掃除されていた、という話題が目についた。また、日本チームの監督がサポーター席に向かって深々とお辞儀をしている写真が報道された。

そのとき、私は、ああ、となった。

かつて、ロンドンにひと月の間遊びに行ったことがある。ある街で、仲良くなった若者が(私も若者だったが)私を見るなり、必ず深々とお辞儀をした。面白がって私もお辞儀をしたが、日本人と言えばお辞儀というのもなんだかなぁ、と思っていた。

お辞儀をしているわけではない。渋柿の匂いをたしかめている。

あれから三十年近い時が流れたが、日本人と言えばお辞儀をする人たちである、という外国人からの印象はまだまだ変わらないだろう。お辞儀をしてやれば、あなたの眼前の日本人もお辞儀を返してくれることに間違いはない。

一方、犬と言えば、尻尾を振って駆けよってきて、クーンクンと人間に甘えてくるものだ、という思い込みは間違っている。「きゃあ可愛い!」などと歩み寄り手のひらを差し出そうものなら、噛まれる可能性すらある。

寺を勝手に縄張りだと思いこんでいるユク坊。

ユクは本当にそれをしかねない。
噛まないまでも、威嚇することは実際によくある。ユクが凶暴なわけではない。怖いのだ。噛む犬というのは、自ら噛みに行くのではなく、恐れから嚙むものだ、と聞いたことがある。あくまでも防衛として噛むのだ。確かに、近寄らず目も合わせていなければ、嚙まれることも吠えられることもない。

実は私自身もユクを家に迎えるまでは、そんな犬の習性をよくは知らなかった。思いっきり目を見開き、両手を広げて犬に近寄っていったこともあったかも知れない。よく嚙まれなかったものだ。

由比ヶ浜すら縄張りだと思いこんでいるユク坊。

ユクが吠えてしまうのは、怖いからです。止めさせるよう努力いたしますが、そのことだけは分かってやってください。長々書きましたが、言いたいのはそれだけです。お辞儀いたします。