人は笑う動物だ。
笑うことにはストレスを軽減してくれたり、免疫力を高める効果があるそうだ。
ただ、笑うことは難しい。
私には敵意がございませんよ、という意を込めて、口角を上げる表情を作るという、いわゆる微笑などは相当に高度な技術と言えよう。
犬の散歩中などは、できるだけ周りの人に不快な思いをさせないように、その技術が必要とされる。しかし、おそらく私の微笑作りの技術は未熟だ。作り笑いが見透かされているに違いない。そのように考え始めると、悪の循環が巡り始める。作り物の笑顔がさらにぎこちなく感じられてくる。ああ、山に入りたい。
秋や冬なら、ユクを連れて山に入ってしまえば素敵な孤独を味わえる。が、いまは夏だ。蜂や蚊、マダニ、ヘビなどの危険にあふれている。
犬は愛想笑いなどしない。
好きな人や犬には小躍りしながら近づくし、嫌いな人や犬には全力で威嚇する。いや、これは「ユクは」とすべきかもしれない。博愛的な犬も多数存在するとは思う。そのような犬でも、嫌なものは嫌、と全力で拒否することには違いないだろう。そして、愛想笑いはしないだろう。
犬が笑っているように見える画像のほとんどは、暑くて口を開けている瞬間だ。その瞬間、確かに笑っているようには見えるが実際は、人間の考えるような笑いではない。
人の笑いには様々な種類があって、その中に嘲笑と呼ばれるものがある。嘲り笑うというなかなかに感じの悪い名称である。嘲るようなことをしているつもりはなくても、少し、笑いには、相手を少し下に見ているようなところがある。自分のほうが偉いとか分かっているとか、そういう優位性と呼ぶことのできるものだ。
それが人間らしさといえば人間らしさだし、それがあって、人間社会というのは成り立っているところもある。善い悪いの話ではない。が、疲れるところではある。だから、犬と山に入りたくなったりするのだろう。
犬はいつも笑いをくれる。
幸せな笑いだけにしておきたい。
馬鹿だなぁ、と笑うことはなるべくよそうと思う。
犬はいつも真剣だからだ。
そう、つまり、真剣にやっている人を笑うのも。