ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

あいつの朝礼を3回聞くと死ぬ、と言われた男と生き延びた保護犬。

社会人一年生となったときに勤めていた会社で、月に一度ほど朝礼の挨拶という役目が回ってきた。初回は、萩原朔太郎の「くさった蛤」を朗読し、どんよりとした空気を営業フロアに醸し出した。2回目は、自然が環境がと言うが、人間対自然という見方そのものがおかしいのではないか、人間をも含めて自然なのではないか、というようなことを声高らかに主張した。大先輩方の前で。若いときの視野の狭さは素晴らしい。視野が狭くないと出来ないことは沢山ある。

 

「あいつの朝礼を3回聞くと死ぬ」と先輩社員にからかわれた。3回目、期待に応えるかのように「蝉の寿命に対して人間の寿命をものさしに可哀想だと言うのは変だ」という内容の話をした。直後、フロアで一番偉い人に呼び出され、朝から死ぬとかそういう話をしないでくれ、と諭された。もっともだ。その会社を辞めるまでの3年間、4回目以降に何を話したのかをさっぱり覚えていないので、3回目までがやはり、とても考えられた面白い話だったはずだ。朝には適さないが。

 

あれから20年以上が過ぎ、さすがにあまり尖ったことはしなくなった。それでも、2回目の朝礼で話した「自然とはなにか」というものへの意見は変わっていない。それと丸くなることとは別問題だ。

f:id:oven9:20210512232620p:plain

人間対自然という考え方への違和感は、人間対動物という考え方への違和感にも通じる。たとえば、ペットを不自然だ、と考える人たちもいる。しかし、ペットとして愛でたい、一緒に暮らしたい、と考える人間の行為をも含めて自然と呼ぶのではないか。それに、人間も動物だ。宇宙に行きたい、と宇宙に浮かんでいる星から言っているのと同様に滑稽に思える。

f:id:oven9:20210512234220p:plain

キューバの犬

日本には現在、野犬があまりいない。捕まえて、随時殺処分しているからだ。可哀想に聞こえるが、それには狂犬病の蔓延を防ぐという目的もある。捕獲された犬は、殺処分される前に、引き取ってくれる人間が見つかれば譲渡され、生き延びることもできる。ユクは宮古島で保護され、関東の預かりボランティアさんを経て、我が家へやって来た。多くの人の手によって助けられ、生き延びることに成功したのだ。幸運だった。

 

先日、保護された犬が譲渡先で逃げてしまったということが身近で起きた。あまり力にはなれなかったが、探索のお手伝いも少しだけした。幸いしばらくして見つかったという知らせがあった。そのとき、(逃してしまった飼い主に、ではなく)保護のボランティアをされている人に対して厳しい意見があったことを知った。せっかく捕まえた野犬がまた野犬になってしまったではないか、そもそも余計なことをするな、という理屈だろう。なるほど。

f:id:oven9:20210512234214p:plain

インドネシアの犬

人間のやること考えることは、いびつだ。全体として100%の正解はありえない。考え方はいくつもあるし、立場もある。きっちりとどこかに線を引くことも困難だ。牛を殺して食べることが良くてイルカやクジラが駄目という境界線を私は理解できない。殺生が良くないからと魚や肉が駄目で植物はむしって食べて良いという理屈も分からない、命は命だ。結局は人間の都合で線を引いているだけだ。人間はそんなに偉いのだろうか。

 

捕獲されたあと、ボランティアの方々に引き出していただかなければ、殺処分されていたかも知れない目の前の犬を見ていると、本当に良かったな、と思うばかりだ。

そこには思想も理屈もない。

f:id:oven9:20210512232344p:plain