ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

「葉っぱが紅いだけじゃん!」

かつての同僚がそのとき付き合っていた彼女と紅葉を観に行った際、その彼女の口から出たセリフだ。同僚はそのことを大変残念そうに話した。デートのために紅葉の頃合いも見計らい、良い景色を見せようと苦心して連れて行ったのに、紅葉などつまらないから早く他所へ行こうというような雰囲気だった、と。なんとも風情のない人だ、と一緒に笑ったが、いま思えば、若い人がそう捉えるのも無理はない、とも感じられる。葉っぱが紅いだけ、ということは何も間違っていない。

f:id:oven9:20211208142754p:plainそこに美しさを見出すものはなにか。
ひとつには、色の変化による季節の移ろいを、人生に見立てているのではないか。少し風が吹けば落ちてしまいそうな儚さ。また、木々を彩る黄や赤は、どれとして同じ色ではない。そしてそれらは、新緑の季節には青々と茂っていた葉だ。そこに人生を透かして見るならば、儚くも美しいものに思えてくる。しかし、その感覚は、「あと何回この紅葉を見ることできるか」というような「人生の残り時間」とも関連しているのではないか。

歳を重ねるたびに、自然が愛しくなる感覚が分かってくる。人間誰しも通る道なのだろう。

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ユクと眺める銀杏の絨毯

問題は犬の生きる速度が人間とは異なることだ。
ユクはいま二歳なので、人間で言えば二十代といったところであろう。その犬が、数年もすれば私を追い越して、老犬と呼ばれるようになるのだ。

毎度思う。
自分が犬より長生きするかどうかも分からないのに勝手に悲しむな、と。理屈ではそうだが、なかなかむつかしい。

あと何回、ユクと紅葉や銀杏の下を駆けられるだろうか。

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何百回もあるんじゃない?