意思疎通と言うまではいかないかもしれないが、お互いに言っていることが通じたな、と感じる瞬間は確かにある。犬と人間の話である。
理屈を説明しても、犬はまったく理解を示さない。それでも、つい「こうなんだよ」と語りかけてしまうことがある。通じ合うのは、瞬間的に感情が高まったときなのだろうか。うれしいとか、悲しいとか、寂しいとか、そういった感覚を共有できることは確かにある。

犬のためにご飯を用意しているあいだ、ユクはワクワクしながら待っている。器に盛ったご飯を持っていくと、何度も跳ねて喜びを表現する。これは非常に分かりやすい喜びの形だ。
人間が犬を置いて出かけようとするとき、ユクはとても寂しそうな顔でこちらを見る。いじけているな、ということがはっきり分かる。表情というより、全身でそれを表している。それが純粋な感情なのか、人間に対する演技なのかは分からない。ただ、その瞬間、人間の心は確実に罪悪感にさいなまれる。

ワンちゃん芸をしたとき、魚のぬいぐるみを口に咥えて、うまく放り投げられたときには、やんやと人間が囃し立てる。そのときのユクの表情は、かなり得意げだ。どうだ、と言わんばかりの顔をしている。
周囲に他の犬がいる場面(もちろん一人芝居)で見せる振る舞いには、どこか作られた感じもあるが、うまくいったときのあの顔は、心の底からこぼれ出てしまったもののように見える。

ユクは言葉を理解しているわけではないが、こちらの言っている雰囲気を掴むのがとてもうまい。すべてを雰囲気で判断しているようにも思える。
私が叱っているとき、言葉の内容や理屈を理解しているわけではないのは明らかだ。ただ、「この人は怒っているな」という語気や空気を感じ取っている。信号待ちのときも、青になると率先して渡ろうとする。車が止まり、周囲の人が少し動きはじめる、その微妙な変化を読み取っているように見える。

一方、書き言葉にも雰囲気はある。
仕事で付き合いのあるエンジニアがいるのだが、その人のメールは、常に怒っているように感じられる。文面が冷たいのだ。読むたびに、何か気に障ることをしたのではないかと不安になる。
ところが、電話で話したり、実際に会ったりすると、いつも笑っている。会話の最中も、へらへらと笑いながら話す。あの冷たいメールを書く人物と、どうしても結びつかない。

やはり人間も動物なのだ。
犬と同じように、言葉の外側にあるものを、先に感じ取っているのかもしれない。
文字などという抽象的で物質的なものを拠り所にはできないようだ。