M1グランプリを観た。もう二十回もやっているそうだ。島田紳助も松本人志も審査員席にいない。二十年も経てばいろいろと変わるものだ。変わらずに続けることのほうが難しい。
すぐに炎上してしまうので、自粛精神の効いた表現が多い。様々な方面に配慮しているというのは、実は保身だし、心底他者のことを考えてのことではなさそうだ。今の世の中を単純に表現すると、何をやっても叱られる、ではないか。
お笑いの世界も大変だ。誰かのことを笑うという行為が差別的要素を含んでいるからだろう。何でも差別ということはできる。だから、様々な方面に配慮しなければならない今のお笑いは昔のお笑いほど面白くはなくなった。誰かのことを馬鹿にしたり笑ったりすることを自粛してしまっているからだ。反面、自虐的な笑いにあふれていて、それはそれでつまらなくなってしまった。
M1の審査員の言葉で象徴的だったのは、「自分は好きだからもう少し評価しているけれど、世間的に考えればこの点数となりました」というコメントだ。審査は主観的なものだと考えていたので驚いた。審査員個人の考えではなくて、世の中の平均的な評価が大切なのであれば、AIに審査させたほうが良いだろう。もっとも平均的な点数を付けてくれると思う。人によって評価が違うこと自体に価値があるのであって、平均を考えてもらうために人間の審査員が必要なわけではない。
ユクの評価はとても主観的だ。
他人の評価ばかり気にする世の中において、潔さが際立つ。このくらい主観的に周りを評価していきたいものだが、人間には建前というものもあり、なかなかそうは行かない。
ユクが好きな犬や人は少ない。犬はしっぽを振って喜んで駆け寄ってくるものだ、と思い込んでいる人にとっては、意外極まりない態度の犬である。気安く手を差し出そうものなら、気安く触ってくれるなよ、と言わんばかりに睨みをきかす。場合によっては鼻で追いやったり、両前脚で威嚇をしたりもする。
誰にでもフレンドリーな犬とどちらが自然な犬の対応かといえば、ユクの対応のほうが自然だと思う。
ユクは気安く触らせないけれど、犬というものはそういうものなのだ。ロボットやAIで置きかえられるペットでもない。平均点って何でしたっけ?