いい天気ですね、という言葉は難しい。
毎日日照り続きでお困りの農家の方にとっては、晴れた日が続きすぎるのは困るはず。そろそろ雨でも降ってもらわねば、飢え死にしてしまう、という気持ちで恨めしく太陽を眺めているかもしれない。そんなところで呑気に、いい天気ですね、などと言おうものなら、着ているものをすべて剥ぎ取り、砂漠に磔にして、いい天気ですね、と声をかけてやりたい、と思われることだろう。イデオロギーや宗教もその類で、あまり簡単に良し悪しを言うものはないのだろう。
私は元来呑気な性格なので、ついそのような表現を使ってしまう。だからなお一層気をつけるように心がけたい。コンプライアンスとダイバーシティで磔にされたも同然の世の中だ。息苦しさも感ずるが、人それぞれに考え方、感じ方がある、ということは人間らしく生きていくための基本事項だ。犬はそのようなことは考えない。人間だから考えるのである。
雨の日は悪い天気。と私も自然とそう思い込んできた。犬の散歩も大変だから、朝起きて雨模様だと、少しトーンを下げた感じで、ああ雨か、となってしまうことは確かだ。
妻は雨が好きらしい。
それは子供の頃からで、水たまりでじゃぶじゃぶやって遊んびながら下校してくるような子だったそうだ。今でもその気持ちは変わらないそうだが、流石に大人が水たまりでじゃぶじゃぶやるのは難しい。というか怪しい。じゃあどうしているかというと、雨の日に雨合羽を着て、カメラを持ち、撮影に出掛けるのだ。雨の写真家ということなら、雨が降ってきた、やったー、となる。雨の日はいい天気ということだ。
妻の話を聞いてから、雨の日の捉え方が変わった。このことはあらゆることに適用できるから、重要なことでもある。
濡れるのが嫌いなユクを連れて散歩で出掛けるのは少し手間がかかる。行きたがらない。玄関前で固まる。励ましながら、何とか連れ出して、お寺を目指す。出たら出たで、楽しいそうにクン活している。
雨の日は、ユクにも雨合羽が用意されている。
これがレスキュー隊のようで楽しい。
雨の日の散歩はレスキュー隊ごっこを楽しむことにしている。