ブラジリアン柔術黒帯の先生が、柔術は車の運転みたいなものだ、と仰っていた。つまりはこう来たらこうする、というようなことが決まっているのだそうだ。特別その場で考えなくとも、自然と身体が動くくらいの判断能力を備えているということになる。
私自身も、歩行に関しては自然とできる。左足だけで立って右足を出して、右足が着地したら今度は右足だけで立ってバランスを取り……などと一歩踏み出す度に考えて動いてはいない。考え事をしながらでも、歩くことができる。
ブラジリアン柔術では、まだその域にまでは達していない。どうするのが良いのだろう、と一瞬考えているから相手の方が有利な状況になることがよくある。動きを考えることと、経験を積むことで自然と身体が動くようになるものだと思う。
自動車の運転もそういうことなのだろう。
経験を積むことで、自然に反応と操作ができるようになる。私は自動車の運転でも、その域ではない。運転が嫌いだからだ。慣れていないものだから、たまに運転するととても疲れる。小さなどうするんだっけの連続である。また、あそこから子供が飛び出してくるのではないか、という過剰な「かもしれない運転」をしてしまい、余計に疲れる。
ユクがうちへ来て三年以上が経つ。それだけの期間、毎日犬の散歩に出かけているものだから、リード捌きも随分と上手になったと思う。犬が催したときの準備も落ち着いてできるようになった。ユクが馬鹿走りを始めても私は冷静だ。つまり、私は犬の散歩では黒帯柔術家のように、都度考えなくても対処ができるようになっている、ということだ。
ここに問題がある。
歩くように犬の散歩をこなせてしまうということは、考え事をしながらでも犬の散歩ができてしまうということだ。実際に私はここ最近は考え事をしながら犬の散歩をしているような気がする。ユクはというと、徹底的に現在に集中している。匂いを嗅ぎ回り、他の犬の存在を察知すればちょっと粋がり、何かが聞こえてくれば、そちらをしっかり確認する。
明日からは、私も散歩に集中しよう、と心改める。