ユクは要求吠えをしない。
家へ来た当初は吠えることがしばらくなかったので、吠えられない犬なのではないか、とすら思っていた。
ある日私が二階にいたとき、下から犬の吠える声が聞こえてきたので、下りてみるとユクがおっさんのようなドスの利いた声で吠えていて驚いた。こいつ、吠えることできるのか。いま思えば、あれは縄張り意識の芽生えだったのかも知れない。つまり、ここが自分の場所である、とユクが認識し始めた瞬間だったのかも知れない。こう書くと良い思い出のようだが、ユクの縄張り意識の強さには、手を焼いている。フォルモサンマウンテンドッグというビレッジドッグの血筋が十割の犬なので、それは気質であり、なかなか私たちが矯正しようにも難しいものなのだろう。
縄張りを主張するときと、怯えたときは、偉そうに吠えるユクだが、何かを食べたい、とかドアを開けて、などというお願いを声で知らせることはしない。これが要求吠えをしない、ということだ。二階から一階に降りて行ったな、としばらくしてから後を追いかけると、一階の扉の前でオスワリをして待っていたりする。マズルを使って開けられないこともないはずなのだが、お利口そうに座っている。やさしく可愛い声でワン!とお知らせしてくれれば、すぐに開けに行ってやるのに。
ユクが上がってきたり下りてきたりしてきたとき、すりガラスの向こう側にシルエットが見えることがある。お利口そうに座っているシルエットだ。そんなときはもちろん、開けてやる。しかし、ユクが扉のところまで来ていることに気づかないこともある。すりガラスがない扉ではまったく分からない。
そんなとき、ユクはタップダンスを踏む。
カチッカチッチャッ!と扉の向こうで音がする。
ユクがフローリングの床に爪を立てて小さな音を立てているのだ。地団駄を踏んでいるだけかも知れないが、効果は抜群だ。
初対面の犬に対しても、タップでご挨拶くらいできぬものか。