おやつをもらいたいとき、ドタンバタンと音を立てる。犬の話だ。
ユクは怖がっているとき以外には吠えない。だから人に何かを伝えるときには、音を立てて知らせる。フローリングに足の爪を当ててカチカチいわせたり、鼻からブシュッと息を勢いよく出し、くしゃみのような音を立てたりする。最近覚えたところでは、玩具を咥えて持ってきて、口でそれを投げることもするようになった。これは高度は技だ。思わず、犬の意のままに注意を向けてしまう。
ある日。
ユクが例によって玩具(お肉の形をしたぬいぐるみ)を咥えてから放り投げた。このあとにユクは、自分が放り投げた玩具を威嚇するように、少し距離を取って構える。じっと睨みつけたあと、ジャンプしてそれに飛びかかる。その様子が面白いので、「おお!ユクかっこいいね!」などと言いながら、また犬の意のままに注意を持っていかれる。その日も威嚇の姿勢を取り、ユクは構えた。妻と私はユクのそのポーズを見守った。
と、そのとき。お肉のぬいぐるみを睨みつけていたユクが、一瞬横目で私たちのほうをチラ見した。自意識過剰な人間がたまにやるような、み、見てる?というようなあの仕草だ。私たちが見ていることを確認したユクは、ぬいぐるみに飛びかかった。もちろん私たちは爆笑した。
爆笑した手前、ユクにはおやつをやらねばならない。ならないことはないのだが、ここまでやったら褒美をやらないと悪いことをした気持ちになってしまう。犬の意のままだ。
私は若いときにはあまり興味がなかったSF小説を、最近読むようになった。これは仕事でお世話になっている人がSFファンだと知り、その人にお薦めを軽く尋ねたところ、コメント付きで熱の入った書籍リストをいただいてしまったことに端を発する。よく知っている方の厳選お薦めリストだけあって、一冊目からとても楽しめた。なるほど、こういう世界があるのか、となった。
SFといえば「スターウォーズ」とか、そういうものだろう、くらいに思っていたが、そうでもなかった。宇宙戦争ばかりがSFではなかったのだ。こうしてSFの古典作品を読みはじめ、自分でも新しい本を探るようにもなった。
近年では「三体」シリーズにのめり込んだ。
中国人作家の書いた作品だ。文化大革命から始まるこの小説は、スケールがとにかく大きい。自分の想像力を試されている感じがする。時間的にも空間的にも大きい描写は、読む人によってイメージも変わってくるはずだ。これは文字ならではの体験で、スクリーンで壮大な世界を描いたところで、頭の中のイメージには叶わない。文字のよいところだ。
オバマ元大統領が大統領時代に、この「三体」を愛読されていたそうだ。アメリカの大統領という仕事がちっぽけに思えるくらいに、この「三体」の世界は壮大なのだ。とてつもなく大きな世界に思いを馳せることによって日常のストレスを忘れることができる。私の仕事はアメリカの大統領よりストレスは少ないはずなので、充分にその効果があった。
沢山読むことによって、想像力が鍛えられる。
少し難解で、上手くイメージできなかった小説も、また時が過ぎればできるようになるかもしれない。経験を積むことが大切だ。
ユクが玩具に対して威嚇している動作は、獲物を捉える野生動物のように見える。
動物同士が睨み合って、相手の動きを見計らっている。相手が少しでも動いたら飛びかかる。そのような光景が、ユクの演技から見て取れるのだ。
ユク坊の頭には壮大なイメージが広がっているに違いない。
一体それはどこから来たのだ?