ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

ポチとその思い出。犬のために作った歌。

犬を飼うのは、ユクが初めてだ。しかし、仲の良かった犬は高校生の頃にいたことがある。名前は「ポチ」という。ポチは、私の小学生のときからの親友が飼っていた犬で、一緒によく散歩に出かけた。ポチを連れて昼夜問わず、神戸のニュータウンを男二人と犬一匹で徘徊した。犬を連れているのは、高校生の私たちには好都合で、夜にほつき歩いていても、警察に職務質問などされなくなるというメリットがあった。そんなずるい理由をポチは知る由もなく、私が来ると全身で歓迎してくれた。遠くまで散歩に行けるからだ。

 

その友だちとは高校の三年間、本当によく遊んだ。暮れゆく空に、まっすぐ伸びる道。そんな光景を見ながら「人生終着への路」などと言いながらふざけあった。ふざけてはいたが、高校生で受験もこれから、という進路も未確定な時期だったので、漠然とした将来への暗い不安は本当にあった。

 

その頃、私はプロのミュージシャンになりたいと思っていた。バンドを組んで、ギターを弾いて歌う、そして売れる、という夢を持っていた。高校生の私は、バンドは疎か、ギターさえ持っていなかった。それでも無邪気にそんな夢を持っていた。そしてポチの散歩中、私は友だちに言った。「オレ、ポチの歌を作るから!」

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ポチ。ケータイのない時代にフィルムで撮った、これしかないピンぼけの一枚。

卒業してからは、あまり彼と話すこともなくなった。SNSのない時代はそんな感じだったと思う。接触が多いから親友というものでもない。

私は芸術大学に進んだ。ビートルズもアートスクール出身だそうだから、これで一歩ミュージシャンに近づいた、と考えていた。ダイエーでアルバイトをして、エレキギターも買った。そして、二十歳になったころ、自分のバンドを組んだ。「ブレイメン」というバンド名だった。無礼な奴らとブレーメンの音楽隊をかけたネーミングだ。バンド結成から一年ほどして、「ポチとその思い出」という曲を満を持して作った。何故かポチのいなくなった未来からの目線でその思い出を歌う内容だった。もちろんそのときポチは生きていたし、どうしてそんな歌詞にしたのかは、思い出せない。

 

悩みを打ち明け合ったり、夢を語り合ったりしていた私たちも、やがて就職をし社会人となった。私は電気設備の会社へ、親友の彼は市の職員に。

 

彼は自分からは連絡してこない。連絡はいつも私からだ。そんな彼が珍しく電話をよこしたことがある。後にも先にもこの一回だけだ。何事かと思ったら、結婚する、ということだった。

「おおそうか、めでたいな!披露宴行くで、呼んでや!ポチは元気?」と尋ねた。

「それが……」と、口籠る彼。

ポチはいなくなってしまった、ということだった。死んだ、のではなく、いなくなってしまった、のだ。猫を見かけたら夢中で追いかけてしまい、しばらく帰ってこなかった、というようなことは度々あったようだが、今回は何日経っても帰ってこないということだった。

 

結婚披露宴の当日。私は、作ると約束していたあの曲「ポチとその思い出」を歌った。歌詞にある「終わり」と「別れ」という言葉を「はじまり」と「出逢い」に変えて歌ったが、まったく違和感がなく、驚いた。相反するようなそれらの言葉は、ほとんど同じ意味合いなのだろう、と理解した。

歌い終わって、高砂席を見上げると、新郎が泣いていた。彼が泣くところを初めて見た。歌うことに集中していた私も、それを見たら泣けてきた。最高におめでたい席で、ほとんどの人が知らない犬の歌を歌って、新郎とその友人だけが号泣している、というとんでもない状態になってしまった。司会の女性が、「ポチ、いまもどこかにいることでしょうね〜」と明るい声で言ったのが悲しみを増幅させ、自分の席に帰っても涙が止まらなかった。

 

ポチがいなくなってしまったいま、この歌の歌詞はあまりにも悲しい。

が、いなくなった後からは書けない歌詞だとも思う。

 

ユクが家にやって来てからずっと、私は彼にそのことを告げたかった。もう何年も年賀状だけのやり取りだったが、先日久しぶりに電話をかけた。

「犬を飼い始めたんだよ」

聞くと、彼はとても喜んでくれて、ユクがどんな様子なのかいろいろと聞きたがった。その週末にでも神戸から飛んで来そうな勢いだった。

 

ユクのおかげで、ポチのことを思い出す機会も増えた。また、彼と一緒に犬の散歩に出かける機会もあるだろう。