ユクにハーネスと首輪を付けて、リードを繋ぐ。毎回の散歩の準備である。
ふと。玄関が生臭い。
生ゴミでも落ちているのだろうか。見回すがそんな様子はない。
準備の褒美(通常のドライフード一粒)をユクにやり、ドアを開ける。
新緑の季節。
ユクと駆けていると、温かいような冷たいような風が顔に当たって清々しい。これから暖かくなるのか寒くなるのか、一瞬分からなくなるような不思議な季節だ。
しばらくすると、ユクが催したようだ。一瞬しゃがむ構えをした。しかし、またすぐ姿勢を戻し歩き始める。なかなか場所が定まらないのはいつものことだ。五回目くらいにようやく場所が定まる。私は「ポイ太くん」を取り出し、待ち構える。出た。ユクが排便をした瞬間、毎回安堵する。いつ、どこで、それを行うか、に、とても気を遣っている。
「ポイ太くん」に華麗に収めて、速やかに口を結ぶ。結んだものを消臭袋入りの小さなバッグに入れる。と、そのとき、バッグの口が閉まっていることに気付いた。口が閉まっているということは、前回の物がそこに収まっているということを意味する。
玄関の生臭さは、これだったのだ。
すっかり忘れていたものを思い出すことができると言えば写真だ。
いまでは「写メ撮って送って!」などと瞬時に写真画像をやり取りできる世の中となった。「写メ」の「メ」って何か分からない若者も多いことだろう。「ファミコン」が「ファミリーコンピュータ」であることを知らない若者が多いのと同じだ。
私は写メどころか、写真の現像すら知っている。カメラで大切にシャッターを切ったフィルムをしっかり巻き取って、写真屋さんに預けて現像とプリントをしてもらう。数日経って取りに伺うと、ああ、こんなの撮ったよね、という写真に出会える。カメラで撮影して、現像プリントしてもらう行為は、この時間差があっておもしろかった。写真の撮影技術を現像で確認するというプロフェッショナルな目的がなくとも、この時間差だけで充分に写真を撮る行為を楽しめた。
ユクとの散歩から帰って、玄関前までやってきた。
玄関前にAmazonの段ボールが置かれている。置き配だ。
何を注文したっけ?開けてみる。ああ、これか!買った買った。
令和のいまは、Amazonでの注文行為が時間差を楽しむツールとなっているらしい。