ユクは外でしか排便できない。
うちへ来てしばらくの間、トイレトレーニングということで、ケージの中にトイレスペースを作ってやり、閉じ込めてそこでするまで待つ、ということを何度か試してみた。ところがユクは絶対にしない。どうして閉じ込められているのかが分からず、ぴいぴい悲しい声で鳴き始める。もちろん、表情も申し訳ないような悲しいような浮かないものだ。結局根負けし、ケージの扉を開けてやり、外に散歩に出掛けて用を足しに行った。頑なに家の中ではしないので、お散歩中に排便することになった。
そのため私は、散歩中にユクがどこで催すか、ということに常に気をやっている。なるべく人様のお家の前でさせない、とかそういう気遣いをしている。それでも犬のそれは突然にやってくる。道のど真ん中で急に構えたりもする。ただし、日々の決まったコースを歩いているお散歩に関しては、ユクがどこで催すのか、が決まってきた。するところは概ね同じ付近である。そういうものなのだろうか。
午後のお散歩では、用を足すまでこちらが落ち着かない。犬はクン活のついでに排便しているのだろうが、人間側は第一に排便を見届けないとクン活に付き合うどころではないのだ。してくれれば、こちらの気も休まる。ああ、今日も無事排便してくれた、あとはクン活にゆるりと付き合おうではないか、といったところだ。
その日も、そのような感じで犬の排便後の安らか気持ちでリードを持っていた。坂の途中、ユクが急に大きい方を構えはじめた。いけない、第二弾が突然やってきたのだ。第二弾はよくあることなので、実はゆるりとした時間なんて、十分から二十分程度のことでしかない。その日は油断していた。
第二弾はいつも「ゆるい」。だからできれば地面に落ちる前、空中でキャッチしたい。だが、もう間に合わない。後悔する余裕もない。
ユクが構えはじめたとき、坂の上から男性が下って来られた。男性はユクのその姿を見て、フッと鼻からとも口からとも分からない吐息とともに笑みを浮かべた。犬の大きい方の構えは少し滑稽だ。その滑稽な様を笑われたのか。犬は真剣だし、取り込み中だから、そっとしておいてください。と心のなかで念じた。
と、その男性が、ユクの後ろ、近くまで歩み寄ってきた。この男性はユクの構えている、まさに前にお住まいのご主人だったようだ。私はとっさに「すみません!」と頭を下げた。無論、ユクの便は止まらない。男性は玄関に向かう階段を上がっていかれた。あの笑みは、ユクの格好が滑稽だったからではなく、「おいおい、堂々と私の家の前で何をしてくれているのかね」の笑みだったのだ。優しいご主人で良かった。
すみません、すみません、と繰り返しながら、水でユクの粗相の後始末をした。