ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

ユクがうちへ来て三年。

人が人と出会うことの確率を考えると、軽々しく「奇跡」などという言葉を口にしそうになる。実際にそのことを考えると、あまりに多くの偶然の重なりによる出会いに怖くなる。感動するというより怖い。

「あの日あの時あの場所で君に会えなかったら」という歌詞の歌があったが、それどころではない。自分たちの出会いだけではないからだ。父と母の出会い、その父の父と母との出会いと母方の父と母との、と考えていくと恐怖に陥る。生まれてくる時代や国、育った環境など、少し違えば大きく変わってしまうものばかりだ。

海は広いな!大きいな!

もちろん、犬と人の出会いも同様のことが考えられる。
様々な偶然が重なり合い、ユクがうちへ来たのだ。怖い怖い。

なまじこのようなことに思いを馳せることができるから人間は悩みを抱える生き物なのだ。どんなに突き詰めて考えても、今しかないのだ。

いまだ!

犬は常に今を生きている。
こうなったらこう、という条件反射の記憶を強く持ち生きている。条件反射なのであって、じっくり考えた結果、今日はこうしよう、というふうには生きていない。

シャンプーをした夜は、人間のベッドで一緒に寝ても良い、ということを犬に理解させることは困難だ、一度許可されたことは条件反射的に許可されたこととして処理される。二週間に一度のシャンプーのあと、という条件までは理解してもらえない。だから、私たちは毎晩犬と一緒に寝ることになっている。

やっと起きたか?

ユクがうちへ来て三年だ。
そんなに経った気がしない。それでももう三年も経ったことは事実だ。コロナも五類に移行され、コロナでの緊急事態宣言は出ないことになった。

ユクと初めて会った日は、緊急事態宣言下だった。会いに行く道中の車内はほとんど乗客がいなかった。そんなときでも電車を動かしてくれていたのだな、と今となって思う。緊急事態宣言下でも、宮古島で犬の保護活動をしてくださっていたし、飛行機で運ばれてきた保護犬を空港まで迎えに行き、しばらく預かってくださるボランティアの方がいたからこそ、ユクは関東にやって来られた。

怖い怖い。

うちの子記念日に帰宅拒否するユク坊。