国の要請で、県をまたいだ移動をしないでください、とのことだったので、この二年間、毎年行く初詣やお墓参りなどを自粛してきた。
このまま神社やお墓参りに行かない人間になるのも嫌なので、そろそろ行きたいな、と考えていた。非常事態宣言も解かれているし、今年は混雑する日を避けて、行くことにした。
神社は想像以上に空いていた。前年分のお賽銭とありがとうを、それぞれ二倍しておいた。私はむやみに神社にお願いごとをしない。願いがかなった時に、どちらの神様のおかげか分からなくなって、結局お願いしたところすべてにもう一度お礼に行かなくてはならなくなるからだ。そういうことで、近場の神社にはお願いごとをせず、二年も空けて、今は遠くにあるいつもの神社までお願いごとをしにやって来たのだ。
二年ぶりのおみくじは、大吉だった。何故か毎回大吉だ。しかし、万事オッケーというようなことは毎回書かれていない。冬に堪えていれば春に花咲く、といった類のことが大体において書いてある。大吉とはいえ、いつも気が引き締まる。
神社の次は、おじいちゃんの墓参りだ。こちらも今は県をまたがねば行けない。おじいちゃんは私が十歳のときに亡くなったので、たった十年の付き合いであった。物心、ということを考えれば、実質七、八年といったところか。
そのような短い付き合いであったし、一緒に暮らしていたわけでもないのに、おじいちゃんとの思い出は多い。
いつも孫である私のために、プラモデルを作って待っていてくれた。玩具もおねだりするだけ買ってくれた。今でもふとしたときにプラモデルを作りたくなるのは、おじいちゃんの影響かもしれない。
そういえば、おじいちゃんは犬を飼っていた。「名犬ラッシー」の犬種で、名前もそのまま「ラッシー」だった。ラッシーが亡くなったとき、おばあちゃんが玄関で冷たくなったラッシーを抱き、とても悲しんでいた。と、そのときのことを映像で憶えているが、私はその場には行っていないはずなので、伝聞を映像化し記憶しているものと思われる。まったく人間の記憶は当てにならない。
ラッシーが亡くなったあとも、おじいちゃんはまた犬を飼っていた。シェパードだ。「刑事犬カール」というテレビ番組が流行っていたので、「カール」と呼んでいた。本当の名前は知らないが、きっと「カール」だったんだろうと思う。カールには、犬小屋でよく話を聞いてもらっていた。
自分が犬を飼うようになって、あのころ、おじいちゃんは犬とどう接していたのだろうか、ということに思いを馳せるようになった。いつか犬と暮らしたいな、と考えていたのもおじいちゃんのことがあったのかもしれない。
七、八年の付き合いで、すごい影響力だ。時間の長さなど、本当は大して重要ではないのだろう。いや、生きて接している時間の長さなど、と言うべきか。亡くなってからもずっと心で存在しているのであるから、もう五十年の付き合いだとも言える。
おじいちゃん、犬を飼い始めたよ。
ユクとは二度目の正月だ。