ユクと近所の住宅街を散歩しているとき、子供のころに住んでいた街を思い出すことがある。いつ遊びに行っても、綺麗なお母さんがクッキーと紅茶を出してもてなしてくれた家。玄関にふさふさの茶色い雑種犬がつながれた家。立派な岩が玄関周りに積み上げられた家。私の育った街は昭和のニュータウンだったので、一軒家も分譲地に建てられているものがほとんどだった。だから、分譲地に建てられているお家を見ると自然と思い出されるのだろう。
関西への出張ついでに、ユクの世話を妻にお願いして、少し滞在を延長させてもらった。おかげで、墓参りに行ったり、友人が新しく出したお店に出向いたり、いろいろ義理が果たせた。最終日、柔術の大会に出る友人のサポートのため、神戸に出掛けた。その会場は私の育った街にあるアリーナだった。いま、そこに実家はないので、長らく行くこともなかった。
神戸の地下鉄も久しぶりだ。二十年くらい毎日のように乗っていた電車も何だかよそよそしく感じられる。
大会後、住んでいた団地に向けて歩いた。土地勘は完璧だ。しかし、距離感が今ひとつ合致しない。全体的に狭く感じる。高校生の頃まで暮らしたので、そんなに小さいときの感覚に縛られていないはずなのだが、不思議だ。
道が荒れている。年季が入っている。まっさらだった状態を知っている私からしてみれば、荒廃しているくらいの感覚だ。
これはちょっとしたタイムトラベルである。現実にタイムマシンは存在しないが、その感覚を味わうことはできる。子供の頃に住んでいた街を、長く離れた者の特権といえる。
廃れているところ、新たに開発されて新しいビルの建っているところ、様々だ。
変わっていないなぁというところは少なく、変わっていないようで、すべてが古くなっている。
「現在」に帰ったらユクと鎌倉の街を歩こう。