神戸のニュータウンで育った。
ニュータウンというのは、一般的な言葉なのだろうか。神戸の山は開拓され、平たい台地となった。その上に新しい住宅地が建設された。台地の上だからか、「何とか台」という名称の住所が多かった。山の土は海に持って行かれて、埋立地として使われた。人工島であるポートアイランドや六甲アイランドとなったのだ。無駄のない計画だ。この開拓時代の神戸市は「株式会社神戸市」と呼ばれるほどに計画上手、商売上手だった。
新しい住宅地、それが文字通り「ニュータウン」である。ニュータウンには、団地ができる。テラスハウスの並ぶ団地や五階建ての集合住宅が並ぶ団地。はたまた戸建てが並ぶ団地など。スーパーや商店街が街の中心にあり、町医者などもその辺りに集まっている。小学校から高校までが街の中にあり、人生のほとんどがそこに存在していた。
大学生までをニュータウンで過ごした。私は生粋のニュータウンっ子である。
いま、犬を連れて散歩に出かけるコースに、神戸のニュータウンを思い出させてくれる住宅地がある。ここを歩くとき、いつも小学生の頃のことを思い出す。
子供の時分はそんなこと考えもしなかったけど、あいつの家はなかなか立派で裕福だったのだな、とか、あいつの家は大きかったが車はボロボロだったな、とか、大人になってから、様々思い出しておもしろい。
前を歩く女性の香水の香りが漂ってきた。鼻の良いユクは思いっきりくしゃみをする。女性は振り向いてユクに微笑みかける。嗅覚が呼び起こす記憶は意表を突く。何十年も思い出してこなかった小学生時代の友達のお母さんのことが鮮明に頭に蘇った。いやタイムスリップしたかのようであった。
言葉遣いの大変丁寧な、カールしたヘアスタイルの美しいお母さんだった。家に遊びに行くと、決まって缶に入ったクッキーと紅茶を出してくれた。毎日こんなおやつが出るのかと友人を羨ましく思った。
ぶくしゅん!もう一度ユクが大きくくしゃみをしたので、四十年前の神戸から戻ってこられた。犬よりまったく鈍い鼻ではあるが、人間の嗅覚は別のセンチメンタルな方向へ進化したものなのだろう。