ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

高校野球と午睡。犬を添えて。

いま、野球が特別好きなわけではない。それでも高校野球がテレビで流れている状況が好きだ。小学生の頃は、春も夏も毎日高校野球を観ていた。有名な高校の校歌を一緒に歌ったりもした。中学生や高校生になった頃には、自分がこの緊迫した場面で打席に立ったならどのような心持ちであろうか、というようなことを想像して楽しんだ。大学生になったときには、自分はもう高校球児にはなれないのだと嘆息した。志したこともないのに。

ヘッドスライディングの練習(しらんけど)

社会人となり二年目に、ひとり暮らしを始めた。実家ができた。(実の家とはおもしろい。虚の家に私は暮らしていたのか!)
お盆休みに実家へ帰ると、リビングでは誰が見るともないテレビが付いている。素麺を食べ、その実家のリビングでうとうとする。BGMはテレビから流れてくる高校野球だ。この感じが好きなのだと思う。どこの高校が勝っても負けても、どうでも良い。この感じが良いのだ。

野球じゃないね。

仕事とお休みの関係は捻れている。
休むために働く、働くために休む。どちらもおかしな感じがする。生きるために働く。それは間違っていないが、あまりにも原始的過ぎはしないだろうか。二十一世紀に生きるワタシたちだ。

犬のために働く。もっとおかしな感じだが、響きは悪くない。少し変えよう。犬とだらけて午睡するために働く。さらに良い感じだ。

ひるね。

私は子供の頃から何のためでもないだらけた時間を過ごすことが得意だ。いや、こんなことではいけない、意味がない、という背徳感が押し寄せる。背徳感との闘いだ。意味意味意味、意味を追い求めることに何の意味があるのだろう。

今年も「あの感じ」を思い出すため、リビングでうとうとしながら高校野球を聴く。
ユクが一緒に寝てくれる。犬と一緒なら背徳感は消えてなくなる。私たちはとても意味のある午睡を貪っているのだ!なあ、ユク坊。