ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

古いギターの匂いがどうしても気になる犬。

先日購入したアコースティックギターは中古だ。どこのどなたが使っていたのかは聞いていない。

茶の湯の道具は価値の高い物ほど、由緒が明確なことが多い。何代のお家元の箱書きがあり、誰それの手にわたり、その後誰それにより、というふうな感じで物語られる。どこのどなたの手にあったか、ということがはっきりしているのだ。
茶の湯においては、この物語こそが重要で、単に名のある人が作りました、とか、お茶が飲みやすいです、ということだけでは価値のあるものとはならない。このあたりが単なるお金持ちを排除するための壁となっているところに感心する。お金だけを持っていても価値が分からないようになっているし、お金しか持っていない人はむしろ間違った物を掴むことになるだろう。よく出来たシステムだと思う。以上は道具など買えない貧乏人の遠吠えです。

お茶は入ったかね。

さて、先ほども申し上げた通り、私の買ったギターは由緒がはっきりしない。だが本体には製造番号が印字されており、その数字により製造年は明確だ。それによると一九五七年に米国で製造された物だそうだ。いったい何人の手を経て私の手元へやってきたのだろう。

ギターよりオレなでろ!

ユクはこのギターの匂いが気になって仕方ないらしい。嫌な匂いなんだろうか。
私がギターを出して弾き始めると、ユクは近くへやって来る。そして匂いを確認したのち、少し曇った顔つきになる。昔、うちに出入りしていた野良猫は、ギターの音を怖がった。しかし、ユクは怖がっている様子ではない。少し迷惑、という雰囲気だ。

迷惑そうなユク坊。

このことを妻に話したところ、ギターに死臭でも付いているのではないか、との見解だった。私は幽霊おばけの類は大いに苦手であるが、ギターに関しては不思議とそのような怖さを感じない。誰かが弾いてきた情念、ときに怨念がそこに込められていたとしても、構わない。むしろその感じこそが、古い楽器の醍醐味なのだから。

迷惑そうにするのだが、近くに来て、下手なギターを聴いてくれるユク坊。すまないね。