世代による特徴めいたものが存在する。
これはおそらく後天的なもので、同じ年頃に同じ社会的な出来事や状況を経験するという理由で作り上げられたものではないか。私は高度経済成長期に生まれてきて、昭和のいわゆるバブル期に学校に通っていた。ベトナムやイランイラクで戦争が起きていようが、子供の自分にはほとんど心的な影響のない平和な日本で育つことができた。
私の世代は「団塊世代ジュニア」と呼ばれている。世界的には「ジェネレーションX」つまりは「X世代」だ。XYZと進み、近頃話題になっている「Z世代」へとつながる。
「X世代」は好景気社会の中、コンピュータの発達とともに、デジタルやゲームに囲まれて育った。社会も人間も成長し、ずっとずっと世界は良くなっていくものだ、と感じていた。ところが、バブルが弾けて、大学を卒業することには就職難ということになり、日本社会の雲行きが怪しくなってきた。そこから二十五年の月日が経った。
犬の暮らしは、昭和の時代とは大きく異なっている。
玄関や庭の犬小屋に繋がれて暇そうにしている犬は、もうほとんど見かけない。昭和の時代は犬とはそういうものであった。プードルのような室内犬もいたにはいたが、一部のお金持ちのお家で飼われているイメージだった。令和のいまは、保護された雑種犬でも身体の大きな犬でも、多くは家の中で人間とともに暮らしている。
犬はそれができる。それとはつまり、人間のルールに従って生活ができるということだ。入ってはいけない場所には入らないし、自分の物以外の物を破壊することもない。正確には破壊することもあるが、叱ればそれ以後しなくなる。(たまにするが)
犬の平均寿命は短いので、世代の交代は人間よりも早い。人間が五十年ほどかけて築き上げてきた、動物保護の考えを推進するためには、この犬たちの協力も必要だったはずだ。人間のルールを何一つ守れないのなら、家の中で一緒に暮らすのは難しかっただろう。そこに適応してくる犬の凄さを感じる。何万年も前からの犬と人との関係も伊達じゃない。
ユクはいま、薬を飲んでいる。
この薬のカバーがまるでウルトラマンゾフィーの肩のボタンのようだ。
そのことを妻に話したが、何のことやら分からないようだった。