懐かしいということは、生きてきた証しでもある。経験し記憶し、それを思い返すとき、懐かしい、と感じるものだからだ。生きていてもすべてを忘れてしまっていては、懐かしむことはできない。心に刻むからこそ懐かしいのだ。
ユクは尻尾をよく褒められる。尻尾を褒めてくださるのはご年輩の方であることが多い。これはユクの恰好に、ペットブーム以前の犬の形を見ておられるからではないか。昭和の時代、犬は番犬だった。門扉近くの犬小屋に繫がれていて、門番をしていた。そして血統書とは無縁の雑種犬がほとんどだった。そのような記憶がユクを見ることで呼び起こされているものと思われる。懐かしいのだ。
一度は忘れなければ、懐かしさは訪れない。ずっと経験していることに懐かしさが生まれることなどない。ああこんなこともあったよね、とならねばならない。
ユクが飛び跳ねる姿をご覧になって、うちの犬もかつてはこんなことをしておりました、と懐かしさを表現してくださる飼い主の方もいらっしゃる。果たして、ユクにおいても、昔はよく馬鹿になって走り回っていたねぇ、などと懐かしく思うときが来るのであろうか。
過日。私が大変気に入っていて、ここ数年着ている服を見るなり、「あれ?これ〇〇のものですよね〜。懐かしいなぁ〜」と知人に話しかけられた。「あ、知ってますか」などとへらへらしていたが、私はこれをずっと着ているので少しも懐かしくはない。まったく、おぬしは流行遅れである、と言われているのと同義だ。
他人が着ているものや持っている物を、みだりに懐かしい、と言ってはならないな、と心に刻んだ。そんなこともまた、懐かしく思い返すときがあるだろう。