ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

儚きもの。私たちの幸運。

茶の湯に関わっていると、年末年始がずっと忙しい。風炉から炉に変わる十一月に炉開きというものを行うが、これは「茶人の正月」と呼ばれている。十一月からすでにお正月が始まったような気持ちになる。十二月には正月への備えを始める意味で、事始めという行事もある。

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事始めの床

年が明ければ、初釜があり、明けて初めての稽古は、初稽古となる。一月の後半には裏千家支部の、新春茶会なる大寄せのお茶会も催される。つまり、十一月から一月いっぱいまではお正月気分なのである。お正月気分と言っても、炬燵でみかんを食べながらテレビを観るような気分ではなく、大変に忙しい。犬とのんびり過ごしていたいが、こうして忙しいからこそ、のんびりのありがたみもよく分かるというものだ。

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のんびりやろうぜ。

茶の湯は儚いものを愛でる。土や竹や木で作られた道具を使って、茶を喫する。千利休が提唱した侘び茶は、その儚さの美を表現したものでもある。

儚さはここかしこにある。

人類はさまざまな技術を発明し、現在に至っている。これからも沢山の技術によって未来が形作られることだろう。しかし、やがてすべては必ず終わる。すべて、だ。
たとえば、五億年経てば、太陽の熱によって地球の水が蒸発してしまい、生物にとって住みづらい星となってしまう、と予想されている。太陽にも寿命があるし、地球も太陽に飲み込まれて終わってしまうかもしれない。では、よその惑星やスペースコロニーに移住すれば良いかといえば、そうでもない。宇宙にも寿命、つまり終わりがあるそうだ。

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散歩の終わりを受け入れられず、玄関でへたり込むユク坊。

どんなに堅牢な物を作ろうが残そうが、それは儚きもの。人類が生き延びるためには別の惑星を探すだけではなく、別の宇宙を探さねばならない。

だが、私たちは大変幸運だ。
あと百年も生きながらえることはなさそうだからだ。儚きものの上に成り立つ、さらに儚きものたちに囲まれて、それを数十年愛でることができるかもしれない。

百億年の想像の旅を終え、犬の寿命の短さを、人間の寿命からの視点で語りたくなる我が身の愚かさを自戒する。
何十億年という地球の歴史のなかで、たまたま同じ時代に生きることができていることを喜ぶ。
私たちは小さな小さな存在だけれども。

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ハーネスを外してもまだ、終わりを受け入れられないユク坊。