毎年秋になると、大学の非常勤講師という仕事が始まり、毎週大阪へ出張する。先生と呼ばれるお仕事だ。
その昔、専門学校で「インターネットリテラシー」という科目を担当させてもらったことがある。インターネットが一般利用されるようになって数年経ったくらいの時期だった。早くから自発的にインターネットに触れ、ウェブページを作成することを自発的に勉強していた甲斐があった。
インターネットといえばあいつだ、ということで友人を伝に学校に紹介していただいた。
初回訪問時の面接のことを思い出す。
「先生!先生!どうぞこちらへ」
先生などと、呼ばれたことがなかったので面食らった。何も偉くないし、何もしていないが、このような大人の方に先生と呼ばれるとは。学校というのは恐ろしい世界だと思った。
先生呼ばわりされることに、少しは、いや随分と慣れた。ただ、慣れただけで、やはり何にも偉くないし申し訳ないね、というような気持ちは残っている。
柔術でもインストラクターをやっているので、皆が先生と呼んでくださるが、まったくもって申し訳ない気分である。私は身体が小さいし老いぼれだ。若い人たちのほうが圧倒的に強い。先生というより、教える係の人、とか、マットを掃除して戸締まりする係の人、と呼んでいただいたほうが気は楽だ。
ただし、先生と呼ばれるからには、先生の役割を果たさなければならない。それが人間社会というものだ。総理大臣と呼ばれる方には、総理大臣の役割をしっかり果たしてもらわなければならないのと同じことである。
先生と呼ばれることはこそばゆいが、人に何かを教えることは好きだ。だからわざわざ人前に立って話すという、緊張する、出来ればやりたくないようなことをやっているのだ。
自分が知った視点、方法、コツ。それらを誰かに教えたい。なぜかそのような欲求が私にはあるようだ。
その割に、このブログには人に役に立つようなことがない。犬は犬それぞれに性格が違い、ユクの場合が当てはまる例も少なかろう。
また、ユクに色々教えているつもりだが、ユクのほうは私を先生などと思ってもいないだろう。せいぜい、連れ、程度に違いない。