インターネットは素晴らしい。
二十代半ばを過ぎてから、その恩恵に預かっている。これまでの人生において、前半はインターネットなし、後半はインターネットあり、ということだ。インターネット以前以後、というものは、なかなかに差が大きいと思う。正確にはインターネットというインフラだけではなく、ケータイやスマホのような、手のひらにのる端末の発明も大きな要因となってはいる。
何事も黎明期は混乱する。基本的に人間は、上手く行っていることを変えたくないからだろう。少数の人がおかしなことをしていると奇異の目で見られる。最初にそれをすることは恥ずかしさも伴う。
歩きながら板状の物に耳を当てながら電話をするなんて、最初にした人はとても恥ずかしかったはずだ。電車の中でスマートフォンを取り出して触ることも確かに恥ずかしかった。
だが、私はいつも恥ずかしさに打ち克つ。新しい物は早く使ってみたいのだ。
手に入れるのが早すぎて、コミュニケーションを取る相手がいない、ということもあった。例えるなら、一人でトランシーバーを持つようなものだろう。
今では、スマートフォンを持っていないほうが少数であり、折りたたみ式のケータイを持っていたりすれば、化石扱いされることだろう。
端末にはカメラも付いているので、万人が写真を撮り、即座にインターネットを介して送ったり公開したりできる。実際に多くの人がそのような行動をしているおかげで、世界中様々な場所の写真や動画を見ることができる。そのため、有名な観光地に行ったときの感動は薄れているようだ。
私の趣味である、茶の湯とブラジリアン柔術は、それを行っているときにはケータイと無縁だ。ケータイ見ないことがリラクゼーションに繋がるし、目の前のことに集中する心も生まれるように感ずる。
なんともとりとめもない文になってしまった。
ただ、言いたいことは一つ。何かをするときにはスマホを見ないでおこう、ということだ。ながらは良くない。特に良くないのは、犬の散歩をしながらのスマホだ。まあ、私がとやかく言うことでもないか。
私は、せめて犬とのお散歩時間は、犬に集中してやりたい、と考えている。こちらの仕事が終わるのを側で待ってくれていたのだ。午後の散歩は特に、ユクにとっての一大イベントである。
ユクの大好きなクン活のサポートにすべてを捧げる。すると、こちらもリフレッシュできる。そういうものなのだ。