ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

明日死ぬのなら何をしたいか。人生は思い出のかたまり。

これまでの人生で何度か、明日死ぬ、という夢を見たことがある。この場合の夢とは、叶えたい夢ではなくて、寝ているときに勝手に見てしまうほうの夢である。毎回、夢の中でうろたえることはうろたえるのだが、結末は同じ。寝るのだ。ああもう、寝て死にます、という感じでエンディングを迎える。考えてみれば、夢の中で眠るのだから入れ子になっている。起きたと思ってはいるが、今もまだ夢の中なのかも知れない。

どこでも寝られる特技。

日本政府による行動制限が緩和されたニュースをテレビで観ていたときのこと。国際空港で、これから出発しようとしている男性へのインタビューが流れた。その男性はこのように答えていた。

「私は癌を患っているので、いつまで旅行できるか分かりません。思い出づくりに行きたくて、制限解除を待っておりました」

余命幾許もない状態で、思い出を作るだと、と私は不思議に思った。なんとなれば、夢の話でご説明したとおり、私は死ぬことが分かったら、すべてを諦めて寝てしまうような人間だ。どうせ死んでしまうのに、思い出を作っても仕方ないではないか、と反射的に感じた。いや待て、どうせ死んでしまうのは、全員がそうだ。明日のデートを楽しみにしている若者もどうせ死ぬ。夕飯の焼き鳥を心待ちにしている私も間違いなく死ぬ。単にいつ死ぬか分からないから、呑気に浮かれていられるだけだ。

何かいい匂いするね。(呑気)

私はこのインタビューに答えていた男性のことを幾日も考えていた。そしてふと気づいた。人生とはつまり、思い出づくりなのだ。思い出のかたまりこそ、人生なのではないか。

死ぬ間際、これまでの人生が走馬灯のように駆け巡った、というような表現がある。そんなに忙しく思い出す必要もないとは思うが、人生の最期に近づいて、生きてきた思い出を味わうことはとても素晴らしい体験だろう。

必ず死んでしまうことを意識することは大切だ。ただ、あと何日残っているか、によってやりたいことは変わるだろう。様々なパターンを考えてみたほうが良い。明日死ぬのなら、これは考えるまでもない、妻とユクと近所を散歩したい。この日ばかりはユクの我儘も大目に見てやろう。そしていつものように、ベッドに皆で一緒に眠りたい。

枕ゲット!

何れにせよ人生の最期には、ああ楽しかった、と言って寝てしまいたいものだ。
結局寝るのか。いや、まだ起きていないのかも知れない。