私はくよくよするタイプの人間だ。楽観的でありたいと思うし、楽観的にならねば、とがんばって考え方を変えるような努力をしてきた。もしくは楽観的な振りをすることでごまかしてきた。それでも性根は悲観的である。
うちの中で、くよくよしない代表はカメリ(クサガメのオス、十八歳)だ。会話で確認することはできないので、本当にくよくよしていないかは不明ではあるが、すぐに忘れていることは見て取れるので、くよくよしようがないと思われる。つまりくよくよするには、くよくよする対象を記憶しておかねばならない。
カメがすぐに忘れるということは、カメがヒーターの吹出口を覗き込んで、前脚で鼻先をこすり、熱かった〜という仕草をした数分後、また覗き込んで、熱かった〜とやっているところを見て、確信した。
その点、犬はよく記憶している。
おやつをくれる人たちのことをよく憶えているし、おやつをもらえた場所も憶えている。おやつのことで怒られた年上のお姉さん柴犬には、今でも頭が上がらない。散歩やおやつにまつわるルーティン(あるいは条件?)もよく記憶しているように見える。
ユクは散歩中、側溝の蓋の継ぎ目にある穴に、よく後ろ脚を落としている。つい笑ってしまうし、犬のくせに格好悪い、と思うのだが、犬のほうはまったく気にせず、散歩を続ける。えへへ、というようなことは一切ない。なかったことにしたかのようだ。
「犬も歩けば棒に当たる」ということわざを「猿も木から落ちる」と同義と思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。何かしら動けば災難に遭ったり、良いことがあったりするものだ、というような意味だそうだ。ユクはよくぶつかりもするので、犬のくせに、と思うこともあるが、犬はよくぶつかる生き物なのかも知れない、と、ユクを見ていて思うようになった。
少々溝に落ちた程度のことは、なかったこととして振る舞えるよう、私も人生に集中して行こうと思う。