ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

黒柳徹子さん朗読の「窓ぎわのトットちゃん」

最近は、本を朗読したデータが売られている。オーディオブックというものだ。私も何冊(もはや冊ではないが)か購入して聴いてみた。本の種類によっては大変聴きづらく、内容がまったく頭に入ってこない。図解が必要なものは先ずもって音声データでは理解が難しい。https://などのリンクアドレスまで、「えいちてぃてぃぴーえすすらっしゅすらっしゅ」などと読み上げてしまうものまである。それが気になってさらに内容を見失うこととなる。

 

小説、つまり物語になっているもののほうが、本を「聴く」のには適しているようだ。話が前から順番に進んでゆくので、聴いていても情景を思い浮かべながら楽しめる。物語ではない読み物は、やはりページを繰ることが必要で、情報としても非線形なものなのだ。

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「窓ぎわのトットちゃん」のオーディオブック

子供の頃に流行った「窓ぎわのトットちゃん」の音声を見つけた。朗読者、黒柳徹子となっていて驚いた。著者ご本人ではないか。そのようなケースもあるのか!と購入して聴いてみた。その昔、実家の本棚に「窓ぎわのトットちゃん」はあった。しかし、その頃、私もトットちゃんと同じくらいの歳の子供だった。読んではみたけど、当時あまりピンとは来なかった。

それがどうだろうか、あれから40年が経ち、大人の目線でこの物語を聴いてみると、じわりと心に沁み入るお話となっていた。しかも、黒柳徹子さん(大人になったトットちゃん)本人の朗読なので、セリフの読み上げ部分など、まさにこのような感じでお母さんや友達や先生達が話していたのだろう、ということが伝わってくる。

 

数年前、「アルプスの少女ハイジ」でも、同様のことを感じた。子供の頃は、ハイジと同じ位の年齢だったからか、心を打つものはなかったが、大人になってから改めて観ると、自分がお爺さん側の目線となっており、ハイジが可愛らしくて仕方がないという感じになった。

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窓ぎわのユクちゃん

犬への接し方も、大人になった今、子供の頃とは違う。それには時代背景もあるのかも知れない。かつて犬の社会的地位はもっと低いものだった。子供でもそれが分かるくらい昭和の犬は厳しい環境で育てられていた。まだまだ日本は犬(もしくは犬連れ)への配慮が少ない社会だ。犬はおろか、赤ちゃんを連れた人達への配慮すらまだまだである。ダイバーシティ、多様化、SDGsという言葉の流行だけが先行している。詰まるところビジネスが先走っている。

 

「窓ぎわのトットちゃん」には、子供達の多様性に気を配り、自然と差別をさせないよう導く教育をする校長先生が出てくる。この時代にこのような先生がおられたのか、と驚く。黒柳徹子さんご自身の幼少時代を描いておられるので、「この時代」とは戦前から戦争に差し掛かるくらいの間の話だ。かつて私が子供の頃に読んだときには、ああこんな学校があったらいいなぁ、くらいにしか感じていなかったが、今ようやくその他多くのことが理解できた。

 

どんなに馬鹿走りをしようが、枝をくわえて頭を振り回そうが、急に掘り掘りを始めようが、お手を失敗して隣の犬の頭を叩いてしまおうが、草を貪り食い喉に引っ掛けおっさんみたいにカッとえずこうが、私の顔前で思い切りくしゃみをしようが、これからもずっとユクに言ってあげたい。

ユクは、本当は、いい子なんだよ。って。

トットちゃん」読まなくても、ずっと言ってるけどね。

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