桜が満開になり心も浮かれるか、と、思いきや、今年何となくそんな気分にならない。
パンデミックによる自粛ムードが明けて、今年の春は本格的に桜を楽しもうということだろうか。北鎌倉界隈も沢山の人だ。
人が動くから、人が集まるから感染症が流行したというのに、人類は何を学習したのだろうか。私たちの暮らし方こそ、変えていくべきで、元通りにするだけでは、また何かしらのパンデミックにしてやられるに違いない。三年間は何だったのか。
私は下戸であるということもあり、学生時分、居酒屋での呑み会というものにほとんど参加したことがない。そして合コンというものも経験したことがない。男女が大勢集まって何が楽しいのか、と疑問に思っていた。二人でそっと会うから特別なのであって、皆で騒ぐことが楽しいとは思えなかった。
スポーツではサッカーを好んだが、チームプレーが苦手で、個人プレーの上手な選手に憧れた。野球とかサッカーとか、自分には向いていないのだな、と分かった。
音楽も個人的なものだ。
バンドを組んではいるが、作曲することは孤独な作業だ。曲の種ができたらようやく、バンドで仕上げていく。孤独とか言いながら、誰かの協力がないと完成しない。バンドとはよく言ったものだ。人数は自分を入れて三人。四人になるとまとまらない。三人がギリギリだ。ビートルズは四人だから崩壊した、と思っている。
できた曲を披露するのはライブハウスなのだが、そこが私にとって居心地の良い場所ではなかった。タバコの煙、バンドの出す大きな音を超える大声で話し合う酔っ払い。
大きな音を出しておいて、言うのも憚られるが。
集まって騒ぐ、集まって呑み喰いする、ということに居心地の良さを求めない私にとって、パンデミックはある意味で居心地が良かったのかも知れない。やっぱり集まらないほうが楽しいではないか、と余計に際立ったのかも。
ユクを連れて、駅前の喧騒を離れ、山に入った。そして、二人だけの時間を楽しんだ。