北鎌倉にはパンツ一丁でランニングをしている外国人男性がいらっしゃる。
度々見かけるのだが、どのあたりにお住まいなのかは分からない。目撃情報は、結構耳にする。やはり北鎌倉界隈の住民にとっては有名な方なのだろう。
「パンツ一丁」と書いた。そうは言ってもランニングシューズを履いているのでしょ?と思われるだろう。ところが、履いていないのだ。ほんとうの意味で「パンツ一丁」なのだ。目撃情報は、季節や天候を問わない。個人的な感想としては、むしろ横殴りの雨が降りしきる中や、極寒の日といった日にこそ、遭遇しているような気がしている。
寒い日、走り抜けていった彼の背中から、湯気が立ち上っているのを見たことがある。走る速度は結構速い。誰かに来たことを教えようとしている刹那、振り向けばもういない。
髪型は丸刈りだ。
北鎌倉では珍しい髪型ではない。むしろ大勢いる。しかし、この外国人男性は、どこかの寺に属している風でもない。自主的に修行しているように見える。それが何のための修行なのか、は不明である。
修行に意味を求めてはならないのかもしれない。意味ばかりを求めるが故、私たちは不平を言い、何かの道から外れてしまうものだ。何となく禅寺の住職さんのような物言いをしてしまった。
裸足でアスファルトも山道も走るなど、私にはできない。ユクはできる。私にできないことをユクは日々行っている。すごい犬だ。いや、犬は大体皆裸足で歩いている。犬たちすごいぞ。
ユクはパンツを履いているようにも見える。無論、それはただの柄なのだが。
私たちも毎日走っている。ユクは匂いを嗅ぐことに忙しい。それに何の意味があるのか、などと尋ねるのは無粋だ。
私たちは無意味の意味を知っている。
うむ。禅寺を歩き過ぎたか。