このようなことを考えることが好きだ。
ユクと森を歩いているときでも、ふとそういうことを考えていることがある。柔術のレッスンの内容や大学での講義の内容、仕事上でのやらなくてはならないことなど、犬の散歩中に頭の中をめぐることがらは多くある。なんだ、犬に集中していると言いながら、他のことを考えているのか、と指摘されれば、そうだ、と答えるしかない。
散歩中に考え事をできるようになったのは、犬の散歩の能力が上がったためとも言える。集中していないわけではないのだ。犬が拾い食いをしないように気を配っているし、通行人に飛びかからないようにリードでコントロールもしている。
例えるなら、台所で食器を洗っているときのような感じだ。束子に少し水を含ませ、洗剤を垂らす、落とさないように慎重に皿を持ち、束子でこする。割れないよう、そっと皿を置き、その他の食器も洗う。今度は順次、水で泡を洗い落としていき、水切り台に並べていく。
これらのことを一つひとつ集中して行う人は、お手伝いを始めた十歳に満たない子供だけであろう。多くの人は洗い物をしながら、他のことを考えられるだろう。考え事をしていても、お皿を割らずに洗えるはずだ。
今日が人生の最後の日なら。
子供の頃から、これを考えることが好きであったが、大人になり、さらに五十を超えてくると、現実味を帯びたテーマとなる。今日が人生最後の日だ、などと実際にその日を過ごした人は少ないだろう。引っ越す前に、今日がこの部屋で寝る最後の日だ、くらいなら誰にでも経験がありそうだが。
なかなかそのような日が来ないからこそ、考える練習をして、体験をシミュレーションするのだ。
そもそも、人生最後の日に何をしたいか、から考える。それが今日なら、妻とユクと散歩に出掛けたい。ドッグカフェやドッグラン、犬と泊まれるホテルなどは必要ない。いつもの散歩コースが一番だ。いつもの散歩コースにも数パターンある。問題は、その中でどれを選ぶか、ということになる。
台峯を登り、小学校へ抜けて、住宅街を歩いて返ってくるコースが、現在のところ有力だ。自然と街のバランスが良い。北鎌倉に住む犬たちが、よくお散歩コースとして利用しているルートでもあり、北鎌倉らしいお散歩コースだ。
ああ楽しかったね。と言って、お布団に一緒に入ることができそうだ。
もちろん、人生が今日終わりそうではないから、このようなことを考える余裕があるのです。