ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

笑いのとれない関西人。海に入れない宮古島出身犬。

人は見かけによらないということを前回書いた。が、実は見かけだけではなく、出身地においても同様の問題が見られる。

私は関西出身だ。関西にも大阪、兵庫、京都、奈良など細かな差があり、土地土地でさまざま特徴があるものだ。たとえば私は神戸の出身だ。ここで兵庫県と言わずに神戸と言っているあたりに面倒臭さを感じていただけるのではなかろうか。関東の感覚だと、横浜出身です、と同じか。かように関西(に限らず?)の各県の出身者には、小さな拘りが見え隠れする。しかし一旦、細かなところは置いておいて、関西、関東という大きな括りでお話を続けたい。

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え?オチは?

関西人が関東へやって来て、もっとも苦労する違いは言葉のイントネーションだが、次には笑いの感覚ではないだろうか。関西では、必ずと言っていいほど、話の最後にオチを求められる。オチなく、すーっと話を終えると、「え?オチは?オチあらへんの?」と言われて詰められることとなる。これは子供の間でも同じだ。ボケとツッコミを義務教育化された環境で関西人は育つものなのだ。
そんなことなので、誰と話すにしても何かしら話の最後にはオチを付けて、笑いで締めなければならない、と私自身も思っていた。

関東に移住してからもそのように努力していた。しかし、私は笑いのプロではない。そう簡単に他人を笑わせることはできないものだ。笑うためには何かしら共通認識のようなものが前提として必要だ(だから内輪受けは簡単なのだ)が、それが土地が変わると大幅に少なくなってしまうからか、笑いが通じなくなるのだ。

見知らぬ他人より、テレビに出ている芸人との方が、前提としている共通認識は多いものだ。だから、私たちは芸人を見て笑うことができる。より身近であるからだ。

f:id:oven9:20211025125946p:plain前置きが長くなったが、要するに、私は関東にやって来て、オチを付けた話で人を笑わせることがうまく出来なかった。そして、標準語で話して、特にオチもない会話をするようになって十年が経った。関西出身であるということも積極的に言わなければ気づかれないのではないか。妻には否定されるが。

関西人だから、面白いことを言うのではないか、と期待してはいけない。面白いことを言わなければいけない環境で育ったことは確かだが、共通のユーモア文化を持っていない土地で、いきなり面白いことを言うのは困難なのだ。関東在住の関西人たちを温かい目で見守って欲しい。

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由比ヶ浜で唯我独尊のユク坊。

うちの犬、ユクの出身は宮古島だ。私は宮古島へは行ったことがないが、綺麗な海に囲まれた温暖な土地、というイメージを持っている。ユクが宮古島の砂浜を、波と戯れながら駆けてゆく画すら思い浮かぶ。しかし実際には、ユクは海には入れない。波打ち際で怖がって後ずさりし、海には一歩も足を踏み入れない。宮古島出身だからといって、皆んな海が好きというわけではないのだ。

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謎のサークルへ避難するユク坊。

北海道出身だからといって、誰でもスキーが得意なわけではないだろう。ブルックリン出身だからといってラップバトルで無敵なわけではないだろう。アフリカ出身だからってリズム感が天才的である、ということも。

関西出身であっても、皆が面白いことを言えるわけではないのと同じだ。
海に怯えるユクを温かい目で見守って欲しい。

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