関西地方のお母さま方(現地では「おかん」と呼称されている)は、転んで擦りむいたりした子供に対して、「つばつけとったら治る」といった感じのことをよく言っていた。昭和の時代の話だ。昭和の犬は荒い扱いを受けていたと言われるが、昭和の子供たちもなかなかに荒い扱いを受けていた。令和の現在では考えられないことだ。
夜中に気分が悪くなり、トイレで戻した。苦しみ、床を這うように母親の寝床へ行き、「吐いた。苦しい。死ぬかも知れん」と伝えた。私が中学生くらいの頃だったろうか。「人間、そんな簡単に死ねへんわ」と言って母は寝返りをうち、また寝てしまった。なんと非道い親であろうか、死にかけている子供のことが心配ではないのか、と、恨めしく思った。しかし、そのとき簡単に死ななかったのは事実で、母親の言ったことは正しかった。
その母は肺がんを患い、お医者さんに、来年の桜が見られるかどうか、と宣告されてから、二度も桜を楽しみ、人間が簡単には死なないことを示してくれた。
うちの甘やかされ犬ユクは「つばつけとったら治る」の実践者だ。ユクがしきりに身体の同じ箇所を舐めているな、と気付いて、そこを確かめると、少し赤くなっていたりする。虫に刺されたのか、どこかで擦りむいたのか。ずっと舐めていたりすると、こちらも大変気になり、オロオロする。
これまでに何度かそういったことがあったが、不思議なことに二週間ほどすると、舐めるのを止めている。治っているのだ。皮膚が赤くなっているのを心配して動物病院に連れて行ったりもしたが、薬を塗る間もなく、いつのまにか治ってケロッとしている。
ユクは、人間の擦りむき傷も敏感に察知する。そしてそこを舐めようとする。治そうとしてくれているのか。大変ありがたい厚意ではあるが、お散歩中、よその犬がマーキングしたところをペロッとしていたのを私は見ていた。傷の治療はご遠慮申し上げたい。