ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

犬が死ぬことの含まれたストーリーに敏感になった。

人類より先に、地球外の宇宙空間へ行った犬たちがいることをあるドラマを観て知った。ドラマなのでフィクションかもしれないと思い、調べてみた。その犬たちは実在した。「ソ連の宇宙犬」などで検索すると概要を知ることができる。なぜ犬をロケットに乗せて宇宙空間へ送ったのかというと、人間が宇宙空間で生き延びることができるかどうかを探る実験のためだ。

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最初に宇宙空間に送られた犬は「ライカ」という名前だったそうだ。悲しいのは、ライカが打ち上げられたロケットには帰還のための装備がなかったということ。先に犬に行ってもらおうと考えることはまだしも、帰りは考えていませんでした、というのは、あまりにも残酷だ。劇中、ライカの死について「それは犠牲ではない、死だ」というセリフがあった。人間がその死を犠牲と呼ぶのはたしかに間違っていると思う。

犬と暮らすようになって、犬の死に敏感だ。フィクションだろうが現実だろうが、その犬の死をユクに重ねてしまうからだろう。犬に関した物語への没入や自身の投影が容易になってしまったいま、ちょっとした話でもダメージが大きい。

f:id:oven9:20210817093222p:plainここでも何度か、ペットロスに怯えている話を書いた。なるべく早く、この感情を理解、整理しておかねば、と考えている。犬との時間を大切にすることを胸に留め置くため「ずーっと ずっと だいすきだよ」という絵本を思い出すようにしている、とSNSでコメントをくださった方があった。さっそく購入し読んでみた。子供向けの絵本なので、お話は長くない。数分で読むことができる。数分で涙がこぼれた。単純なようで奥の深いお話だった。

お茶のお稽古場に通われている大先輩が、五郎という名の猫を飼われていた。数年前に亡くなったその猫のことをお話になると、今でも涙ぐまれる。もともと猫好きというわけではなかったそうだが、軒先にいた子猫を迎え入れ、いつの間にか一緒に暮らしていたそうだ。その年配の女性はひとり暮らしだ。寂しいからまた猫を飼う、という感じでもないらしい。

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「私にとって猫は五郎ちゃんなの」とおっしゃる。
ペットロスというものが、代わりの子でどうにかなるものではない、ということがよく分かる表現だ。

 

(※ここから、「ずーっとずっとだいすきだよ」のネタバレを含みます)

 

「ずーっと ずっと だいすきだよ」。本のタイトルからして、飼っていた犬が死ぬだろうことは想像できたので覚悟して読んだ。主人公の男の子は、飼っていた犬が、自分の成長とともに老いていったことを語る。犬が階段の昇り降りをできなくなっても、一緒に寝なければ、と階段を抱っこして昇る。やがて、朝起きると、犬が死んでいた。家族でその死を悲しむ。それでも、「ずーっと ずっと だいすきだよ」と、毎晩言ってきたから、自分は大丈夫だと言って、男の子は悲嘆に暮れたりはしない。

すぐに、隣の家の子が子犬を分けてあげると言ってきた。彼はそれを断る。逆に、自分の犬が使っていたワゴンなどを、子犬のいるその友達にあげてしまう。自分にはもう必要なくて、その子に必要だから、という理由で。もう動物を飼わないと言っているわけではない。いずれまた飼うだろうが、今はそうではない、ということだった。その最後に涙が堪えられなかった。

「私にとって猫は五郎ちゃんなの」ということについても、もう一度考える機会となった。余韻のある良い絵本を紹介していただいた。