ユクとゆく

宮古島で保護された犬、ユクとの暮らし。

孤独を感じるときはいつか。

ユクは散歩の帰り道、よく振り返る。おそらく友達の犬を探しているのだろう。そのように見える。あまり知っている犬に会えなかった日は、少し不完全燃焼の様子だ。寂しいな、と感じているようにも見える。しかし、犬は「孤独だな」とは感じていないと思う。「孤独」は人間特有の感覚だ。

f:id:oven9:20220104174629p:plain孤独死などという言葉があるが、何をもってそのように表現するのか。独りで死んでいくことを孤独死と呼ぶのなら、人類全体に当てはまる。愛し合う二人が心中したところで、死にゆくときは独り、決して二人では死ねない。まったく孤独を感じていなかった一人暮らしの人が、たまたま家で独りで死んだからといって「孤独死で可哀想」とは失礼ではなかろうか。

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高みに来るほど生命を感じる。

独りで山に入って歩いているときには孤独を感じるかな、と思ったが、それが実際にはまったく感じられない。静かな山道を歩いていると、虫の音や鳥の鳴き声が際立って聞こえてくる。この地球には自分ひとりではなく、多くの生き物が存在しているのだ、ということに気付かされる。そのことによって、独りで歩いていたとしても、まったく孤独が感じられない。虫や鳥がいなくとも、風が吹いているだけで地球を感じられ、自分を含めた地球といううごめくものの集合体がこの宇宙空間に存在しているのだ、ということに思い至る。まったく孤独ではない。

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ユクも地球を構成する一匹。

孤独を感じるときはいつか。
居酒屋などで複数人で会食をしているときや、立食パーティに参加しているときなどにこそ、私は孤独を感じる。そこに人が沢山いるのに、誰とも上手く交われない、というときこそ、孤独を感じるのではないか。また、信じていたり、頼りにしていたり、愛していたりする人に裏切られるようなときにも、大いに感じるものだろう。

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山はまかせろ!と言わんばかりのユク坊。

犬と、誰ともすれ違わない山道を歩いているときも、もちろん孤独など感じない。そもそも犬と歩いているのだから、どこを歩こうが孤独ではない。パンデミックで他人と集まる機会が激減したが、犬が来てからというもの、孤独を感じること(暇?)などなくなった。

犬という種族は、こうして人類に寄り添い、孤独を消してきたのだろう。
犬は人を孤独にさせない。
何となれば、犬は嘘をつかないし、裏切らない。

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まあね。