人類は常に進化してきた。今でも日々を良くしよう、便利にしようと、小さくても工夫を続けているのは人間の性と言えよう。その日々の積み重ねが、振り返ってみれば、大きく人類を進化させている。最近の子供たちはとても豊かに見える。昭和の小学生は、夏でも冬でも毎日半袖半ズボンの体操服を着ている子がいたものだ。自転車のない子もいた。今は皆が高そうな自転車に乗っている。服も靴も、それなりに上等なものを身に着けている。

もちろん、子供に限った話ではなく、大人たちも日々の進化の恩恵を受けている。自転車、自動車、テレビ、洗濯機、携帯電話、コンピューター。全てのものの少しずつの進化が、数十年で大きな違いを生み出している。
乾燥機というものを初めて手にした。洗濯物をハンガーに吊るしてベランダに干しに行く、ということをしなくてよくなるし、天候を気にして洗濯する日を考えなくても良い。本当に便利で、使うたびに感動している。生まれた時から洗濯機はあったので、洗濯機を手にした時の感動を私は知らないが、相当なものだっただろうと想像される。

犬の世話に関係するものも、沢山の進歩が感じられる。リードやハーネスは、犬になるべく負担がかからないように工夫されている。また、そもそも犬を外に繋いでおくことが普通だった昭和に比べると、社会の犬に対する扱い方が激変している。人類は全体的(内面的にも!)には良い方向に進化していくものだ、と思う。これからもそうあって欲しい。

新しい技術が現れると、「仕事が奪われるから良くない」というネガティブな意見が散見される。特に、今はAIが取り沙汰されていて、人間の仕事がAIに置き換えられる、と騒いでいる。しかし考えてみれば、どの時代であっても、新しい技術が人間の仕事を「奪い」、楽にしてきたのだ。いつまでも川で洗濯をしたかったとは思えない。自分の足で走って隣町まで行きたかったとは思えない。「奪う」という風に見てしまうと取り残されてしまう。「やらなくても良くなった」という風に捉えたいものだ。

最後に、便利の方向性について。
犬の散歩が自動になる、という方向性は間違っている、ということは添えておきたい。