そう。人間には都合があり、犬はそれに合わせなければならない。主従関係が明確であり、本当に幼い子どもとその親の関係のようなものだ。全責任は主の方にある。その代わりに従の側は、主の言うことには完全に従わなければならない。つまり、主の都合に合わせなければならないということになる。

犬は幼児のごとく、上手く人間に世話をしてもらうような関係性を作ってきた。今でこそ「可愛い」ということを理由に世話をしてもらっている犬がほとんどだが、元々は外敵が近づいて来た時に吠えて知らせたり、追っ払ったりする番犬としての役割を果たした犬が多かったのではないか。

猟犬という、高度な技を持つ種類の犬もいる。現代では「セラピードッグ」と呼ばれる「癒やし」の技術(が果たしてあるのか知らぬが)を使って、人間に世話をしてもらっている犬もいる。ただ、圧倒的に「可愛い」というだけで世話をしてもらっている犬が多いだろう。

うちのユクもそれに当たる。
可愛いだけで世話をしてやっている。世界中の保護犬を救おうなどという大志を持っているわけでもない。折角犬を飼うなら一匹でも保護された犬を迎えてあげる方が良いかな、という気持ちは少しあった。

「飼う」という漢字は「食を司る」と書く。
この点においても主従が明確だ。幼児も自分で食べ物を見つけられない。犬と同様だ。

この三日間、私の「都合」で、午後の散歩が一時間くらいになってしまった。十分といえばそうなのだが、なんとなく後ろめたい気持ちがある。それはなぜかと言うと、ユクが「まだ帰りたくない」という意思表示をしていたからだ。散歩の途中も「行きたいのはそっちじゃない」という素振りを見せていた。

ユクの行きたいところに連れて行ってやりたい。今度の日曜日には私の都合は捨ておいて、ユクの行きたい所へ引かれるままについていってやろう。