茶道の稽古をしていてよく感じることは、一年も経てば人間は大体忘れているものよなぁ、ということだ。季節の道具やお菓子が出てきて、「ああ、また春か」などとなる。道具や設えの変化によって、お点前の作法も変わる。一年前の稽古のことなどすっかり忘れていて、否が応でも初心に帰らざるを得ない。

そのようなことで、ずっと新鮮に稽古できるのが茶道の良いところである。妻に言わせると、点前の作法を複雑にすることによって、お稽古のサブスクリプションフィーを支払い続けるようにするための仕掛けだ、ということだ。その側面は確かに否めない。

人間は、毎春、桜を愛でては喜んでいる。一年前のことをすっかり忘れるようにできているおかげだと思う。まもなくユクを迎えてから六年間も経つ。一緒に六回も、季節を感じてきた。六年間といえば、小学生が中学生になるほど長い月日だ。犬も今年は七歳になる。

あまり先のことを考えたくはない。そして、一年前のことは忘れてしまう。「瞬間を楽しむ」以外に攻略法はない。理屈では必ずそうなる。

引っ越してきてから初めて、瑞泉寺までお散歩に行った。以前、天園ハイキングコースを通って来たことがある寺だ。その場所に来れば、なんとなく、来たことを思い出してきた。立派な桜の木が満開だ。

桜の木の麓に、歴史を案内する立て看板が見える。松陰先生ではないか。私は何のゆかりもないが、長州びいきである。吉田松陰や高杉晋作のお話が好きなのだ。「ほほう」と言いながら看板の写真を撮って、桜の木を見上げた。
後ろから妻が、一言。
「前もそれ、撮ってたよ」