日々、解決しなければいけないことはある。机に座ると、あぁそうだ、と昨日やり残した仕事のことを思い出す。あれもこれも、まだ解決していなかった。そんな感じで一日の仕事が始まる。

私は二十数年間、ひとりで仕事をしている。事務所や仕事部屋でひとりである、という意味で、実際にはいろいろと協力してくださる人たちもいる。ただし、それはメールやオンライン電話などでのつながりであり、コロナ禍以降、クライアントとも物理的にお会いする機会は相当に減った。だから、本当にひとりでいる時間が増えた。

会社員時代、部下がいる生活をしばらくしたことがあった。人に仕事を任せるのはとても難しい。結局、自分でやったほうが早い、というのは、誰しもが上司として思うところであろう。しかし、そこをぐっとこらえて仕事を任せ、部下を育てていくのである。会社組織において上司になるということは苦労が多い。もちろん、それに向いていない人もいると思う。部下として働いていたときは能力を発揮していたが、急にマネジメントという響きの良い言葉のポジションで上司として過ごさなければならなくなり、うまくいかずストレスを抱えている人たちも多いと想像する。

私も上司としての振る舞いには、まったく自信がなかった。自分がやったほうが早い仕事は自分でやった。フリーランスとして独立してからは、協力してくださる人たちとはお金の関係である。仕事を任せたり、任せてもらったりすることは契約だからだ。うまくいかなければ、契約を解消すれば良い。それだけのことだ。少し薄情な気もするが、仕事なのだから、そのくらいでちょうど良い。

最近は部下ができた。部下といっても人間ではない。AIだ。ちょっとした調べ物は、AIが得意な分野である。あっちを検索し、こっちを検索し、それを並べて見比べ、分析するための資料を作るといった仕事は、できれば他人に任せたい。世の中、やることは分かっているが、時間がかかってしまう仕事がとても多い。それらの仕事を、本当に「秒」でやってくれる。こんなことを言うと気を悪くするかな、といった気遣いも不要だ。これは気に入らないから、もう少し調べてみて、と言えば、はいはいと言って(本当は言わないが)、また「秒」で結果を提示してくれる。

AIに仕事を奪われる、といった言葉をよく聞くが、実際にAIに仕事を奪われた人も多いだろう。つまりは、上司に「これ、調べておいて」とお願いされるような業務を受け負っていた人たちだ。これからの時代は、皆が上司のようにならなければいけない。部下が挙げてきたものを少し手直ししたり、修正を促したり、最終的な形として適切かどうかを判断するような仕事をしなければならない。ここで言う部下とは、もちろんAIのことだ。教育も簡単である。これは嫌だ、これは良い、これは間違っている、と言えばいい。自分自身の判断を、部下に気兼ねせず告げられるからだ。相手が人間だと、こうはいかない。

犬にも日々、命令をしている。信号が赤のときは待たせるし、階段はゆっくり歩くよう指示をする。最終手段としてリードがついている。犬が命令に背いても、リードで止まらせることができる。できればリードを強く引きたくはないが、そこは仕方がない。

犬の学習は、その場その場の条件による、反射に近いものだ。論理的に、こうだからこうなって、だからこうなる、という思考はない。そもそも言葉が通じないし、言葉がない以上、抽象的、また論理的に考えることも困難だろう。この響きのときは、あるいはこの雰囲気のときは、こうしなければいけない。その程度の学習をしているように感じられる。その点で、犬と付き合うのは楽しい。思考プロセスや背景に潜む信念に気を揉む必要がないからだ。どうして分かってくれないのだろう、などと憤っても仕方がない。犬といて心地良いのは、この思考プロセスのなさに起因するのだと思う。

一方、AIは思考プロセスの塊である。さらに、その思考プロセスがブラックボックス化してしまうこともある。どうしてこのような結果を出したのか、人間には計り知れないことがあるのだ。学習も得意だが、自分好みの思考プロセスを身につけるのだから、自分がバカ殿化しないように気をつけなければならないだろう。

思考プロセスの分からない腰の低い天才と付き合うよりも、その場で反射的にオテをしてしまう偉そうな犬と付き合うほうが、人生は楽しい。
それは間違いない。